(余録) 明治前半に若者の投稿を集めて週1万部も売った… - 毎日新聞(2019年10月29日)

https://mainichi.jp/articles/20191029/ddm/001/070/088000c
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明治前半に若者の投稿を集めて週1万部も売った「穎才新誌(えいさいしんし)」という週刊誌があった。投稿の多くは勉強による立身を説いたもので、能力次第で出世ができる文明開化の時代の勉強熱の高まりを伝えている。
身分制から解き放たれた青少年らの意気をうかがわせるが、むろん中にはヘソ曲がりの若者もいた。幸福になるかは勉強よりも機会と運によると説いたが、この論は勉強立身論者の非難攻撃の的となり、ついに賛同者は現れなかった。
教育社会学者の竹内洋(たけうち・よう)さんの「立志・苦学・出世」で知った話である。明治の勉強立身論はその後、進学競争や受験熱に引き継がれていった。そして令和。再来年には英語の民間試験も導入しての大学入学共通テストが始まるという。
「身の丈(たけ)に合わせて勝負してもらえれば」とは萩生田光一(はぎうだ・こういち)文部科学相の言葉だった。民間試験は受験生の経済格差や居住地の地理的条件に左右されて不公平でないかという問いへの答えである。だがほどなく「説明不足」と陳謝した。
なるほど入試制度における機会の平等に責任を負う文科相に「身の丈」を説教されては地方在住や経済的余裕のない受験生は立つ瀬がない。分相応にといわんばかりの物言いも、明治の立身論者なら文明開化前への逆戻りと難じよう。
まだ実施要領に目鼻もつかず、受験生や高校側の不安はふくらむばかり、大学も約3割が合否判定に使わないという民間試験である。「身の丈」が現実に合っていないのは思いつき倒れの入試改革の方である。