天皇と恩赦 民主主義にふさわしく - 東京新聞(2019年10月9日)

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天皇陛下の即位に伴う今月の「即位礼正殿の儀」に合わせ、政府は恩赦をする方針だ。国家の慶弔時に慣例的に行われるが、「もはや遺物」の声も。民主主義の時代にふさわしい在り方を探りたい。
恩赦は裁判で確定した刑罰を免除したり、失った資格を回復させたりする。憲法七三条の内閣の職務として恩赦を決定する旨を記す。七条では天皇の国事行為として、その認証を定めている。
一九九三年の天皇陛下と皇后さまの結婚以来二十六年ぶりとなる。
もともと恩赦は世界各国の歴史でも、国王が慈悲の印となすことで権威を示す効果を果たしてきた。国王の統治の一手段であったことは明らかである。
だが、日本国憲法天皇は象徴であり、政治的権能を持たない。天皇即位を祝う意味での恩赦は、天皇の権威を高める作用を及ぼすか、政権による天皇の政治利用と国民に受け取られかねない。それを強く懸念する。
そもそも司法権の判断を行政権によって変えてしまうのが恩赦だ。刑事裁判の効力を消滅か軽減させる作用を持つためだ。三権分立の原則から考えて適切なのだろうか。民主主義の時代にふさわしいのだろうか。
政府は恩赦の対象は軽微な犯罪に限って、小規模にとどめるもようだ。だが、軽微とはいえ、選挙違反で停止された公民権の回復などが過去のケースでは多い。公職選挙法政治資金規正法などの違反は、民主主義の根幹への冒涜(ぼうとく)にも等しい。
この不正を慶事に名を借りて免責するのは極めて疑問だ。いわば身内の政治家を救済する“政治恩赦”になるからだ。その意味で、対象となる罪や刑の種類などを政令で決めて一律に実施する恩赦には問題が潜むといえる。
仮に恩赦を行うならば、無実を訴える者や、事実上、終身刑化している無期刑確定者にも、もっと目を向けてはどうか。罪を犯しても反省の念が強く、更生できる人はいる。仮釈放になっても保護観察下に置かれる。更生態度などを見て、中央更生保護審査会が判断すれば足りよう。
誤判からの救済の意義は大きい。無実を訴えてもなかなか裁判所に届かない現実がある。冤罪(えんざい)をなくす司法へと転換する機会にもなる。五六年の国連加盟、七二年の沖縄復帰…。国家的な出来事に限らず、このような恩赦の道はもっと開かれてもよい。