あすへのとびら 実名報道の意義 他者への共感広げるため - 信濃毎日新聞(2019年10月6日)

https://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20191006/KP191005ETI090004000.php
http://web.archive.org/web/20191007005502/https://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20191006/KP191005ETI090004000.php

36人の命が奪われた京都アニメーション京アニ)放火殺人事件は、本紙を含む報道各社が判明した犠牲者の実名を報じた。
遺族の多くが実名報道を拒んでいた。公表した京都府警と、報道したメディアを批判する声もある。事件報道に人の名前はなぜ必要なのか。県内外の事例とともに改めて考えたい。
まず、報道機関が当事者の名を知ることの意味とは何だろう。

<事実の検証に不可欠>
2017年4月、長野県警茨城県の地方公務員男性(23)を書類送検した、と発表した。
県の「子どもを性被害から守るための条例」に違反し、保護者の同意を得ずに少女を深夜に連れ出したとの容疑だ。車中に2人でいたところを警察官が職務質問し、賛否に揺れた条例の罰則を初適用した。県警は「容疑を認めている」と説明。男性の氏名、居住地の市町村名は公表しなかった。
翌月、長野地検が男性の死亡を発表する。プライバシーを理由に詳細は明かさなかった。本紙の取材で自殺と分かる。記者が取材を重ねて男性の氏名と自宅を何とか突き止め、両親に話を聞いた。
男性は、少女の嫌がることを「一切していない」と訴えていたという。県警が勤務先に捜査を伝え、男性は長期休暇を申し出たまま職場に戻らなかった。略式起訴の後、両親に「ありがとう」とメッセージを残し、自室で命を絶った(17年6月29日付朝刊)。
罰則を適用すべきケースだったのか。検証が必要ではないか。本紙が問題提起したことだ。
報道機関が「官製情報」をうのみにしていては、市民の「知る権利」に応えられない。記者は当局が説明しない事実に関心を持ち、真相に迫ろうとする。
そうした取材は当事者が誰なのか分からないと進まない。このケースのように氏名非公表の人物を取材で特定するのは容易でない。結果的に事実にたどり着けない恐れがある。実名報道が一般的な英米では、氏名を含む事件の記録は事実の検証のために市民が共有すべきだと考えられている。
県警はこれ以降、同条例を適用した書類送検の事実すら公表しなくなった。現在、検証報道はより困難な状況にある。
取材に必要な実名だが、報道する意味はどこにあるのだろう。
16年、電通の新入社員だった高橋まつりさんの自殺が過労による労災と認定された。弁護士と母親が会見で明らかにした。
早い段階で実名や生前の写真、長時間労働のつらさを訴えたSNSの記述、遺族の声が報じられると、大きな社会問題となった。国が調査に乗り出し、社長は引責辞任に追い込まれた。
京アニ事件でも犠牲者の実名とともに、写真や手がけた作品、エピソードが大きく報じられた。
亡くなった人の名を知ることなく、社会は悲しみや憤りをどこまで共有し、記憶しうるだろうか。

<危ういのは匿名社会>
京アニ事件では見過ごせぬ経緯もあった。政府の犯罪被害者等基本計画では被害者名の公表は警察が判断することになっている。取材や報道の成否はこの判断にかなり左右される。本来はただちに報道機関に公表すべきだが、府警が35人の氏名を公表したのは発生から40日後だ。報道側は速やかな公表を求めていた。
発生8日後に「マンガ・アニメ・ゲームに関する議員連盟」が公表の条件や時期について菅義偉官房長官に申し入れていた。府警の判断に影響したとみられる。政治家が警察の判断に介入するのは危険な行為だ。
近年、取材や報道を拒む遺族は増えている印象がある。記者や編集者も遺族の心情を察するほど、「知る権利」を担う職業倫理との間で悩み、揺れ続けている。
ニュース性の高い事件では記者が増え、過密取材になる。相次ぐ取材に遺族は疲弊してしまう。悲しみに耐え、死者を悼んでいる発生直後であれば、なおさらだ。
京都の報道各社は今回、代表社が遺族に取材の意向を確認し、それ以外の社は遺族宅から離れた場所で待機する―といったルールを作った。遺族の負担を和らげる手法として参考にしたい工夫だ。
実名公表の後、いわれなき中傷がネットに流れる懸念もある。一方、匿名だと臆測が広がり、無関係の人に不利益が及ぶ危険がある。匿名報道でリスクを回避するのではなく、事実を正確に報道することで無責任な発言の拡散に対抗しなければならない。
匿名の個人が言葉を投げつけるような空間と逆の社会を、実名報道は可能にする。他者の身の上に起きた出来事に関心と共感を広げ、顔の見える関係から励ましや支援につなげたい。被害者や遺族が名前を隠さずに生きる実名社会を提起したい。