<南風>平和の礎と大田元知事の予言 - 東京新聞(2019年8月29日)

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イシジ ヌ ウイナー スクル ヤーユドゥ ヌキヤーッティ イズ(石の基礎の上に建てる家を、貫き家と言う)。八重山の建築様式で、角材を貫いて組み合わせ、石の基礎の上に柱を立てる本格建築の家を「ヌキヤー(貫き家)」と称します。柱を載せる基礎の石がイシジ(礎)です。イシジは家屋を支えるもっとも重要な役割を担うことから、物事の肝心要・中枢部を意味するのです。
沖縄県沖縄戦の犠牲者の名を国籍や軍人、民間人の区別なく刻み、1995年に糸満市摩文仁で「平和の礎」を建立しました。碑名を沖縄で広く使われている島言葉の「イシジ」にしたのは、賢明だったと思います。平和の礎に刻まれている戦没者の数は24万人余にのぼります。
大田昌秀沖縄県知事恒久平和へのゆるぎない信念が結実した祈念碑です。大田知事は秘書課で勤務していた私に「今は口に出せないが、平和の礎は世界の恒久平和を希求するシンボルとして世界中の人々に支持され、同時に永久的な観光資源として沖縄県の経済を潤すことになる」と断言されました。大田知事の予言どおりになっている現状を見るにつけ、大田知事の先見の明に、今更ながら感服しているところです。
県外から訪れる友人や知人は、かならず「平和の礎」の参拝を希望し「戦争の悲惨さと平和の尊さ」を肌で確実に感じ取ります。同時に日米安保条約に基づく在日米軍基地の70%が、沖縄県に押しつけられている不条理を、自らの問題として真剣に受け止め理解を深めて帰ります。
また、タクシー乗務員として観光業に携わっている親友のN君は、「復帰後の県の施策で最も優れた事業は“平和の礎建立”であり、沖縄の苦難の歴史を確実に理解させることのできる超一級の観光資源だ」と明言しています。
(當山善堂、八重山伝統歌謡研究家)