96年前の虐殺 追悼拒む都知事の誤り - 朝日新聞(2019年8月29日)

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96年前の関東大震災の混乱の中、日本で暮らしていた多くの朝鮮人や中国人が、住民の「自警団」や軍、警察によって殺害された。その追悼式に、小池百合子東京都知事は今年も追悼文を送らないと表明した。
式典は市民団体の主催で1974年以降、墨田区内の都立公園で開かれ、歴代知事がメッセージを寄せてきた。小池氏も就任直後の2016年は前例にならったが、翌年から取りやめた。震災の犠牲者全てを対象とする法要で哀悼の意を示しているから、というのが理由だ。
だが天災による死と殺害は明らかに性質が異なり、承服し難い。のみならず知事は虐殺について「様々な見方がある」「歴史家がひもとくもの」とあいまいな言い方に終始している。
事実を軽視し、過去に学ぶ姿勢に欠ける振る舞いで、厳しい非難に値する。
きっかけは議会での自民都議の質問だった。自警団の行動は震災に乗じて凶悪事件を起こした朝鮮人らへの自衛措置だったとし、公園内の追悼碑の説明文にある「六千余名」という犠牲者数は過大だと批判した。
だが、「朝鮮人が暴動を起こす」「井戸に毒を入れた」といった話がデマだったことは、当時の政府が認めている。詳しい調査がされなかったため正確な犠牲者の数は不明だが、内閣府中央防災会議の報告書(08年)は1千~数千人が殺されたと推計。「大規模災害時に発生した最悪の事態」と位置づけ、教訓とするよう訴えている。
流言飛語によって民族的な差別意識を増幅させた市民が、何の罪もない人々を殺傷したというのが、事件の本質なのだ。
この件にとどまらない。
日本の負の歴史について、研究の蓄積を無視した主張を言い募り、あるいは一部に疑問を投げかけて、諸説があるかのような空気をつくり出し、公的な場から消し去ろうとする「歴史修正主義」の動きが近年相次ぐ。追悼文の取りやめを定着させることは、そうした風潮に加担する行為に他ならない。
人種や民族、宗教などの違いを理由に排斥するヘイトクライム憎悪犯罪)への対策は、国際的な課題だ。最近の日本でも大きな災害が起きるたびに、外国人が犯罪を重ねているといった悪質なデマが飛び交う事態が繰り返されている。
東京では来年、あらゆる差別を禁じる憲章の下、五輪・パラリンピックが開かれる。高い確率で直下型地震も見込まれる。その都市のトップが、ヘイトクライムの過去に真摯(しんし)に向き合おうとしない。日本のみならず世界の心ある人々が知れば、幻滅し、その資質を疑うだろう。