<金口木舌>表現の不自由、ここにも - 琉球新報(2019年8月19日)

https://ryukyushimpo.jp/column/entry-973969.html
https://megalodon.jp/2019-0819-0932-59/https://ryukyushimpo.jp:443/column/entry-973969.html

夏の甲子園も終盤。はつらつとした選手のプレーに目を奪われるが、工夫を凝らしたアルプスからの応援も心を打つ

▼13日には、放火殺人事件の被害に遭った京都アニメーションが制作したアニメの主題歌が応援曲で流れた。「ファンや関係者を励まして」という地域の要望を受け、立命館宇治吹奏楽部が星稜戦で演奏した
春の甲子園では入場行進曲が時代を映す鏡だ。今年の第91回大会は「世界に一つだけの花」と「どんなときも。」。平成の代表曲として選ばれた。軍国主義の1930~40年代には軍歌を採用したが、24年の第1回は米国の行進曲「星条旗よ永遠なれ」だった
▼戦争の時代、暗い影はスポーツ界も覆った。敵性競技とされた野球ではストライクを「よし」などと用語を言い換え、大会の中止やチームの解散に追い込まれた
▼韓国との関係悪化を受け、沖縄で日韓小学生ハンドボール親善交流大会が中止になった。東京五輪のボイコットという声が韓国で上がる。国同士の対立でスポーツが犠牲となる時代がよみがえったか
▼戦争で中止になる直前の甲子園では派手な応援が禁じられ、閉会式を万歳三唱で終えなければならず、軍人と官僚の特別席も設けたと「ざっくり甲子園100年100ネタ」(オグマナオト著)にある。かつての「表現の不自由」が今、スポーツの場でも大手を振って歩こうとしている。