【私説・論説室から】第五福竜丸の教訓 - 東京新聞(2019年8月7日)

https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2019080702000175.html
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東京・夢の島にある都立第五福竜丸展示館。リニューアルしたというので見に行った。入ると眼前に船体がある。そして死の灰も。一九五四年三月、米国のビキニ水爆実験の際、百六十キロ離れた海域で被ばくした。
展示館のパネルには、多くのマグロ漁船が被ばくしていたことも記されている。漁船八百五十隻が五百トン近いマグロを処分した。
「秋から冬にかけて汚染海流が日本の沿岸にたどりつき、汚染魚が捕れるようになった。しかし国・厚生省は魚の検査を1954年12月末で打ち切ってしまった」とある。
調べてみると、静岡県焼津市の市場では、大みそかの午前中まで検査をし、基準値超えのマグロがあった。午後からは検査がなくなり、すべてのマグロが出荷されたという。
こうして汚染魚は“ゼロ”になった。
パネルは、日米両政府が「法律上の責任問題とは関係なく慰謝料として200万ドル(当時、7億2000万円)をアメリカが支払う」という交換公文を五五年一月四日に交わして「すべてを終わったものとしました」と説明する。「完全かつ最終的合意をした」ということだろうか。残念な説明が次にあった。「水産業界には5億8000万円が支払われ」たが「多くの乗組員には補償もなく健康診断などもおこなわれなかった」。
元乗組員らは二〇一六年、国家賠償請求訴訟を起こした。 (井上能行)