あすへのとびら 原爆の日を前に 核廃絶を本気で目指そう - 信濃毎日新聞(2019年8月4日)

https://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20190804/KT190803ETI090002000.php
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「笠岡貞江さんから預かった平和のバトンを皆さんに渡そうと思います。用意はいいですか?」
7月下旬、広島市広島平和記念資料館の一室で、市内の宮本慶子さん(67)が話を始めた。若者や親子連れがうなずく。
笠岡さんは86歳の被爆者だ。被爆体験の「証言者」に委嘱され、資料館などで講話をしている。高齢化で数が減り、本年度は前年より7人少ない38人。以前のように活動できない人も増えている。
証言者が健在なうちに講話を引き継ぐ人材を育てようと、広島市は7年前から本人に代わって証言する「伝承者」を募っている。現在、宮本さんを含め131人だ。
養成には3年もかかる。証言者から何度も話を聞き、ゆかりの地を訪ね、講話の技術を磨く。
「つらかったら、下を向いていてくださいね」と断ってから、宮本さんは市内の高校生が描いた絵を見せた。被爆直後、当時12歳の笠岡さんが、爆心地の近くから帰った父を看病する場面だ。
焼け焦げて真っ黒な体、飛び出した白い眼球、真っ赤に膨れ上がった唇。化膿(かのう)した傷口からウジがわく。うちわでハエを追い払う幼い笠岡さんがいる。
「人間の体を餌にウジが大きくなり、ハエになる。これが戦争です!」。宮本さんの声が、笠岡さんの心の叫びを伝えた。

  <被爆者がいない日>

宮本さんは通訳ボランティアの活動で証言者らと出会った。
被爆、別離、原爆症、差別―。壮絶な人生を強いられた彼らは「すごく優しい人たち」だという。日本の過去の過ちにも思いをめぐらせ、誰も恨まず、つらい記憶を語り続けてきた。
近年、証言者が相次いで亡くなっている。「ずっと生きていてくれる気がしていました」という宮本さんは、被爆者の言葉と生きざまを伝えたいと思った。その優しさや強さが、生きにくい時代に苦しむ今の子どもたちの力にもなる、と考えたという。
被爆者がいなくなる日は近づいている。1年で9162人が亡くなり、3月末時点で14万5844人。平均年齢82・65歳だ。
4月に本館をリニューアルした資料館も被爆者のいない時代を意識するように、残された遺品に真実を語らせる展示に注力する。
あの朝、街に防火帯を作る作業をしていた中学生が大勢死んだ。残された服、救急袋、弁当箱などが暗い展示室に浮かび上がる。一人一人が前ぶれなく生を終えた証しだ。来場者は核兵器のむごさ、非人道性を静かにかみしめる。

  <「核の傘」を疑う>

被爆地が「絶対悪」だと非難する核兵器を、私たちは今、どうとらえているだろうか。改めて向き合ってみたい。
平和のため、ない方がいい。でも「核の傘」に守られているから仕方がない。「必要悪」だ―。こう考える人も多いかもしれない。
2年前、核の保有や使用、威嚇も禁じる核兵器禁止条約が122カ国・地域の賛成で採択された。保有国や日本は交渉すら参加しなかった。核を否定しない被爆国に非保有国やNGOは失望した。
1970年発効の核拡散防止条約(NPT)は、米ロ英仏中の5大核兵器国に軍縮交渉を義務付ける一方、それ以外の国の保有を禁じてきた。一部の非保有国は核を渇望し、条約の外で核が拡散した。核軍縮も停滞している。
恐怖の均衡で平和を維持できるという核抑止論も、「核の傘」も、冷戦時代からずっと一部の国で信奉されてきた。そこに疑いの目を向けてみたい。
核兵器は被害が甚大すぎて、先制攻撃にも報復にも「使えない」代物だ。他国の軍事行動を抑制する力は、実は小さくなっている。
そこでトランプ政権は「使える核」として小型核の開発に乗り出した。小型とはいっても数万人の犠牲者が出る威力だ。核の先制不使用も否定し、2日にはロシアとの中距離核戦力(INF)廃棄条約まで失効させた。
均衡を崩して優位に―という軍拡競争の愚かさだ。中国も巻き込んで東アジアに核の緊張を高めるだろう。それなのに安倍晋三政権は米の戦略を「傘の強化」だと歓迎するありさまだ。
他国に攻撃をさせない抑止力に核はいらない。「使える核」という危うい幻想を捨て、外交と専守防衛で安全保障を積み上げる。これこそ合理的で、現実的だ。
政府は「保有国と非保有国の橋渡し役」となって核廃絶を目指すという。二枚舌でないのなら、米国と距離を置いて国際社会の信頼を回復した上で、被爆国として率先して核なき安全保障のモデルと道筋を保有国に示すべきだ。
6日に広島、9日に長崎の「原爆の日」が来る。被爆地が必死につなぐ「平和のバトン」を、私たちはしっかり受け取りたい。