週のはじめに考える 民意の「外」から見れば - 東京新聞(2019年7月28日)

https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2019072802000132.html
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見る場所によって、違うものに見える。そんな視覚トリックのアート作品がありますが、どう見えるかで、どこから見ているかが分かることもあります。
先の参院選の結果は、安倍首相には、こう見えたようです。
「少なくとも、(改憲の)議論は行うべきだ。それが国民の審判だ」
あまつさえ、「この民意を正面から受け止めてほしい」と野党に呼びかけさえしました。

◆米紙「改憲の権限なし」
根拠は、与党が「勝利」したから、でしょう。確かに、開票日翌日の朝刊各紙一面には、「与党が改選過半数」の大きな見出しが躍りました。
しかし、もう一つの大見出しは「改憲勢力3分の2割れ」(小紙はそれが一番手)です。衆院に続いて、改憲勢力が三分の二以上を占め、国会での発議ができる勢力になるかどうかが最大の焦点でしたが、そうはなりませんでした。
さらに、首相の主張の根拠である「勝利」の中身を見ると、少々微妙です。
選挙区で、首相が率いる自民党議席の五割以上を獲得しましたが、全有権者に占める絶対得票率は、18・9%にすぎません。しかも、前回参院選から2ポイント以上のダウン。第二次安倍政権発足後に行われた参院選三回、衆院選二回で、二割を切ったのは今回が初めてです。
こういうデータもあります。
参院選後の共同通信世論調査によれば、安倍政権下での改憲に「反対」との回答は56%、「賛成」の32・2%を大きく上回っています。
また、安倍内閣が優先して取り組むべき課題を二つまで選んでもらった問いでも、「年金・医療・介護」や「景気や雇用など経済政策」が上位を占め、「改憲」は実に、九つの選択肢で最も低い6・9%にすぎなかったのです。
さて、これでも今度の選挙結果は、改憲議論を行え、という「国民の審判」であり、それが、野党が正面から受け止めるべき「民意」だと、自分にはそう見えると言うのでしょうか。
「シンゾー・アベは勝利を宣言したが、改憲の権限はなし」。そう掲げた米紙の見出しの方が、よほど素直です。

◆選挙後に「3分の2」
冒頭、見る場所によって見えるものが変わるアート作品のことを書きましたが、問題は、では、首相はどんな所から、この選挙結果を見ていたのかということです。
キーワードは、恐らく「議論する」。
思えば、首相は選挙中、率直に改憲したい、と訴えるより、「改憲を議論する政党・候補か、議論しない政党・候補か」と繰り返していました。仮に改憲勢力が三分の二を割っても、与党が勝ちさえすれば「議論は行うべきだ、が国民の審判」と主張できる-。そう平仄(ひょうそく)を合わせられるよう、周到に練った戦略的修辞だったことがうかがえます。
要するに、選挙結果、三分の二がどうあれ、とにかく改憲に突き進む腹づもりだった。だとすれば、もはや首相の視座は選挙-首相の言葉を借りるなら「国民の審判」や「民意」の“外”にある、と考えるほかありません。
実際、記者会見で首相はこうも言っています。「国民民主党の中には、議論すべきだという方々がたくさんいる」。今後、「議論する」を誘い水に、何人か(あるいは丸ごと)改憲勢力に取り込む戦略です。数議席足りなかった三分の二を、文字通り、選挙=民意の“外”で達成してしまおうというのですから、いうなれば、首相の目に「国民民主」は見えていても、「国民」は見えていないということになりましょう。
そもそも、なぜ改憲しなければならないのでしょう。国民から強い要請があるわけではない、どころか、反対が多いのに。
首相は九条に自衛隊を明記するという自民党案について、「それだけにとらわれず、与野党を超えて三分の二の賛同が得られる案を練る」とも言っています。さらに民放番組では、国会発議と国民投票を「私の任期中に何とか実現したい」と。
なぜ国の大事をなすのに「私の任期中」なのか。もはや、なぜ改憲するのかという核心は溶融し、「どう改憲するか」ではなく、ただ「自分の手で改憲する」こと自体が目的になっているように聞こえなくもありません。

◆間違った立ち位置
人々の多くが安倍政権に期待しているのは「改憲」、では決してありません。先にあげた世論調査で言えば、最下位の項目です。それが、最優先に見えているのだとしたら、やはり首相の立ち位置、見ている場所が間違っている。民意の“外”にいるからです。