(斜面) 身分を問わない公平な選挙と二院制議会政治を諸侯や幕府に説いた先駆けの知識人 - 信濃毎日新聞(2019年7月22日)

https://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20190722/KP190720ETI090002000.php
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慶応3年、幕末の京都で1人の信州人が暗殺された。上田藩士赤松小三郎。京都に私塾を開き、薩摩藩邸でも洋式兵法を教えていた。一方で、身分を問わない公平な選挙と二院制議会政治を諸侯や幕府に説いた先駆けの知識人でもある

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朝廷と幕府、諸藩の協力政体を描いたが、武力討幕に傾いた薩摩藩士の凶刃に倒れた。ここから男子による普通選挙実施まで61年を要した。自由民権運動大正デモクラシーを経た昭和3年だ。女性を合わせた完全普通選挙は敗戦後の昭和21年まで待つ

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幕末から昭和に至るまで、普通選挙参政権を求める人々は時の権力と闘い、長く弾圧を受け、血も流してきた。今日では当たり前の制度に見えるが、人々が非民主的な政治体制と闘っている地域は、世界に今なお多い。近くでは香港だ。緊迫を伝えるニュースから目が離せない

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1国2制度という特殊な体制だ。5年前、中国の意向を排して行政長官を選べる「真の普通選挙」を求めて若者の抗議運動が広がった。実現しなかったが、再び政府への不満が高まって大規模なデモが続く。警察のゴム弾に倒れ、拘束される若者もいる

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一部の過激な行動に批判はあるものの、身をていして求める普通選挙への思いは切実だ。抗議の自殺者も出た。きのう私たちが手にした投票用紙は過去と世界を見やれば限りなく重い。令和元年の最初の国政選挙は2人に1人が棄権した。152年前に没した赤松に言い訳できるだろうか。