諫早「閉門」決定 「国策には従え」なのか - 東京新聞(2019年7月8日)

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開門と閉門の判断が地・高裁で交錯した。国営諫早湾干拓事業長崎県)の訴訟で最高裁は「閉門」の決定をした。漁業者側の敗訴だが、理由は示さぬまま。国策には従えという強引さを覚える。
「ギロチン」で干潟が閉め切られた光景-、記憶にある人も多かろう。一九九七年に諫早湾の三分の一を鋼板で閉め切って、干拓事業が行われた。ムツゴロウなどが生息する干潟は消え、堤防の外では赤潮が発生、ノリは大凶作となった。高級二枚貝のタイラギなどは休漁となってしまった。
漁業者が堤防の開門を求めて提訴したのは当然だ。だが干拓地では農家が野菜などを栽培している。国と営農者は閉門を求め、利害が対立した。司法判断は二〇一〇年の福岡高裁の開門命令が確定判決となっている。
一方で、営農者側が塩害を懸念して起こした訴訟では、一七年に長崎地裁が開門差し止めを命じている。「開門命令」と「開門禁止」の正反対の判断が出て、司法のねじれが起きた。そんな経緯を経ての最高裁決定。だが、そこに具体的な理由は示されていない。
本来なら漁業者と営農者の分断状態は、国が責任を持って解決せねばならない問題である。そもそも戦後の食糧難の時代に構想された巨大事業で、「止まらない公共事業」の典型だったからだ。環境への世論の高まりも視野になく、時代の変化に対応できなかった。
迷走する判決で振り回された人々にとっては、司法の責任も浮かんでくる。昨年には福岡高裁が開門命令の確定判決を覆し、無効とする判決も出している。その理由が何ともおかしい。漁業権の消滅だった。
共同漁業権の存続期間は十年で、一三年に消滅したと言った。特別の事情変更があれば判決の効力を失わせうる法理があるとしても、命令に従わず開門しなかったのは国の方である。漁業者側にどんな落ち度があるというのか。代々、有明海で漁業を営んできた人々の根本的な権利がなぜ消滅するのか、疑問を持たざるを得ない。
「開門」を無効化した高裁判決については、最高裁でも審理され、月内に弁論が予定されている。混迷はまだ続く。
着工から三十年たっても解決しない問題の原因はやはり国だ。漁業者と営農者の対立構図をつくり出し、「ギロチン堤防」を既成事実化している。漁業者が一方的に損をする結論になっては、国民の納得は得られまい。