19年参院選 憲法の議論 対決あおる手法なじまぬ - 毎日新聞(2019年7月7日)

https://mainichi.jp/articles/20190707/ddm/005/070/032000c
http://archive.today/2019.07.07-080531/https://mainichi.jp/articles/20190707/ddm/005/070/032000c

今回の参院選では、憲法改正が大きな焦点になっている。
安倍晋三首相は「憲法の議論すらしない政党を選ぶのか、議論を進めていく政党を選ぶのか」と言う。首相にとっては自民党総裁に復帰してから6度目の国政選挙だが、憲法改正を従来以上に正面に据えている。
首相は2年前、憲法9条への自衛隊明記論を打ち上げた。衆院総選挙をはさみ、自民党を督励して改憲4項目の条文案をまとめさせた。
そして迎えた最初の国政選挙が今回の参院選である。
安倍首相は野党が審議に応じないと批判する。「憲法審査会はこの1年、衆院では2時間余り、参院では3分しか議論していない。おかしいじゃないか」が決まり文句だ。
衣の下によろい見え
しかし、論議停滞の理由は野党のせいだろうか。
昨年の自民党総裁選前、首相は党の憲法改正案を秋の臨時国会に提出できるよう議論を加速させると述べた。首相支持層の求心力を保つための強気発言だが、野党は警戒感を募らせた。
衆院憲法審査会の仕切り役に保守色の強い側近を起用して局面打開を図ろうともした。これも野党の警戒感を増幅した。側近の一人が野党を「職場放棄だ」と批判して事態は動かなくなった。
衣の下のよろいを隠さず、性急に結果を求める安倍首相の姿勢が、結果的に憲法論議の前進を阻んでいる側面は否定できないだろう。
憲法論議を進めようとするなら、そのための環境整備に心を砕くべきだ。政局の打算や思惑とは一線を画し、与野党が互いの意見にじっくりと耳を傾ける空気を地道に醸成することが必要になる。
憲法は国家の基本原則を定めたものだ。国家としての連続性を保証するものでもある。時代を超えて、変えてはならないものがある。
現在の憲法は、敗戦が出発点になっている。戦前、日本は軍国主義の道をひた走った。国民から自由を奪い、思想を統制し、戦争で多大な犠牲を強いた。そんな社会には二度と戻らないという決意を、国民は憲法によって共有した。
その際に取り入れたのは、国民主権基本的人権の尊重といった普遍的価値である。同時に、天皇を国民統合の象徴とし、平和主義の国として、日本は再出発した。
政治や国民の暮らしに、数十年にわたり影響を及ぼすのが憲法である。今の憲法には70年を超える戦後日本の歩みが凝縮されている。
民意は揺れ動くものであり、その時々の多数派が行き過ぎないようにする役割が憲法にはある。
一方で、時代の変化にそぐわない条文があるのなら、手直しする議論はあっていい。
ただし、その際に、改正手続きを定めた憲法96条が、単純多数決ではなく、衆参各議院の3分の2以上の賛成を必要とする特別多数決をうたう意味を改めて考えたい。
そこで求められているのは、国民の代表である国会議員の大半が賛同するものにするという原則である。
イギリスの大きな教訓
「51対49」のような賛否の割合で、勝者が敗者をねじ伏せるような発想は是認されない。
イギリスは欧州連合(EU)離脱の是非を問う国民投票に踏み切り、国内の分断が決定的になった。今なお、その混迷から抜け出せていないことを私たちは大きな教訓として受け止める必要がある。
3分の2も、「少なくとも」ととらえる必要がある。日本社会の根幹にかかわる憲法の改正について、3分の1がなお反対しているような状況は分断を招くからだ。
憲法の改正案を発議する場合には、その前に与野党改憲論議の質と成熟度を高める必要がある。発議されたものを国民の大多数が追認するような状況が望ましい。
とすると、その入り口で憲法を議論する政党、しない政党と、敵味方を分けるようにレッテルを貼る首相の対決型手法はどうだろうか。
目の前の選挙戦を戦い抜く武器にはなっても、憲法論議の土壌づくりという面ではマイナスだろう。
立憲民主党枝野幸男代表は「建設的な議論にならない。結論ありきだ」と対決姿勢を強める。しかし、野党第1党が背を向けると、議論は広がりを欠くことになる。野党も挑発にただ応じるのではなく、冷静な議論を考える必要がある。