2000万円問題と年金制度 正確な知識・情報を土台に - 毎日新聞(2019年6月19日)

https://mainichi.jp/articles/20190619/ddm/005/070/084000c
http://archive.today/2019.06.19-001543/https://mainichi.jp/articles/20190619/ddm/005/070/084000c

人生100年時代を迎えるにあたり、「95歳まで生きるには年金以外に約2000万円が必要」と強調されれば不安に思うのは理解できる。
金融庁の報告書を担当大臣が受け取らないことをめぐって騒ぎになっている。野党は批判を強め、参院選の争点にしようと試みている。老後の不安から年金に関心の高い人が多いためでもある。
しかし、不正確な知識や誤った情報に基づく議論は控えたい。国民の不安をあおり、公的年金の信頼を傷つけると、制度そのものの信頼が揺らいで若い世代の将来にも大きなダメージとなる。
この機会に、年金制度についてじっくり考えたい。

個人で積み立ては不利

日本の年金制度は現役世代の保険料を高齢者への給付に回す「賦課(ふか)方式」が基本だ。現役世代が減り、高齢者の人口が増えれば当然、年金財政は苦しくなる。
2004年の制度改正で現役世代が払う保険料の上限を固定し、収入の範囲で給付する仕組みに変わった。現役世代の所得の50%を割らないようにしようというものだ。
そのときに与党は「100年安心」とアピールした。年金制度の持続性を強調した言葉だが、給付が減り続ければ高齢者の生活は「安心」ではないとの批判を受けている。政府の言う「制度の安心」と国民の「生活の安心」は食い違ったままだ。
長生きすることを考えると、個人で積み立てるより、公的年金の方がはるかに有利であるのは事実だ。
厚生年金は、働く人が納付する保険料に加えて雇用主が同額を納め、基礎年金の半分は税が投入されている。公的年金に入らなければ、雇用主が払う分と税の分まで自分で積み立てねばならない。しかも何歳まで生きるかわからないので、どれだけ積み立てればいいかもわからない。
一方、公的年金は生きている限り受給できる。若い世代は今の高齢者に比べれば受給水準は低くなるが、長生きするほど自分で積み立てるより多額の給付を受けられる。
インフレなどの経済変動を考えても、国が運営する公的年金のメリットや信頼性は、個人で老後に備える場合をはるかに上回る。年金保険料未納者も自分の払った税金が他人の年金に回され続けることになる。
それでも、公的年金だけでは足りないのだから、給付水準を引き上げるべきだという意見がある。
しかし、65歳以上の人口は増え続け、ピーク時の42年には4000万人近くになると推定される。仮に、毎月の生活に不足するとされる5万円を年金で賄うことにし、その財源に消費税を充てると、税率を十数%にまで引き上げる必要がある。
老後のライフスタイルや経済状況は人によって違う。物価の安い地方でつましく暮らす人もいれば、年金に頼らずに働き続ける人もいる。
最低限の生活費を年金で保障し、それ以外は個々の事情に合わせて自分で備えるという方法は理にかなっているのではないか。

社会保障教育の充実を

厚生労働省によると、18年度の年金や医療、介護などの社会保障の給付費は総額121・3兆円(対国内総生産比21・5%)だが、40年度は約190兆円(同24%)へ膨らむ。伸びが著しいのは医療と介護だ。
高齢者の独居と認知症は急速に増えていく。どんなにお金があっても、医療が受けられず、介護をする人がいなければ生きることは難しい。社会保障費が増え続ける中で年金以上に切実なのは医療と介護だ。
都市部を中心に、高齢者の暮らしは夫婦のみ世帯や独居が主流となっている。子ども世代による支えが期待できず、老後の不安から年金を頼りに思う傾向が強い。しかし、年金だけでは不安は解消されない。年金を拡充すると医療や介護に財源が回らないという悪循環にも陥る。
年金が常に将来不安と結びついているのは、学校教育でほとんど教えられていないからでもある。
年金制度は複雑で一般の人は理解するのが難しい。「消えた年金」など度重なる不祥事もあり、国民の間には不信感も強い。政府もわかりやすい説明をしてきたとは言えない。
終身雇用が次第に崩れていく時代である。年金など社会保障について知り、自分で生活を守らねばならない。学校教育で社会保障制度に関する基礎的な知識を身に付けさせるべきである。政府や企業も正確な知識の普及に努めなければならない。