再開原爆資料館 遺品が生と死を語る - 東京新聞(2019年6月17日)

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広島平和記念資料館本館が展示を一新し、二年ぶりに再開された。被爆者の遺品が、きっと語ってくれるはず。爪痕を刻まれた実物だけが知っている、紛れもない「被爆の実相」、戦争の真実を。
梅雨が過ぎれば、七十五年目の夏が来る。直接体験者である「語り部」の皆さんも、確実に年齢を重ねている。どうすれば「被爆の実相」をリアルに伝え残せるか-。考え抜いた結果が「原点回帰」である。
「原点」とは、初代館長で地質学者の故長岡省吾さんが集めた被爆の遺物。瓦礫(がれき)に始まり、熱でゆがんだガラス瓶、真っ黒になったご飯が詰まったままの弁当箱…。手当たり次第に集めて歩いて、大切に保管した。その一つ一つが、原爆の真実を後の世に永く伝え続けてくれると信じたからだった。
被爆から四年後、長岡さんの収集資料は、新設された市の中央公民館で公開された。広島平和記念資料館の原点だ。
これまでも長岡さんが集めた遺品は、重要な展示物だった。それらを今回、新本館の展示の主役に据えた。被爆再現人形の撤去には、批判もあった。しかし「現実はこんなものではなかった」という被爆者の声を尊重し、実物中心のレイアウトに切り替えた。
長岡さんの言う「悪魔の刻印」が深く刻まれた“本物”を選び出し、持ち主の遺影と詳しい説明を並べて展示した=写真。
例えば焦げた手縫いのワンピース。傍らに二十三歳で被爆死した女性の写真。じっと見詰める。説明を読む。<体は触れることができないほど熱くなり、唇は大きく腫れました>。目を閉じる。耳を澄ます。<見守った肉親一人ひとりに『さようなら』と言いながら8月18日に亡くなりました>
一瞬の閃光(せんこう)の中で理不尽に中断されてしまった被爆者の人生を、どう受け止めるかは、それぞれだ。しかし、私たちはその時そこで、過去ではなく、未来と向き合うことになる、と言えなくもない。この世に核がある限り-。
八月を待たずに、ぜひ一度足を運んでほしいと願う。
戦争を知らない国会議員が、戦争をいざなうようなことを言う、そんなおかしな時代であれば、なおのこと。

 原爆資料館

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