可視化の義務 刑事司法改革は道半ば - 東京新聞(2019年6月8日)

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刑事事件での取り調べ録音・録画が今月から義務化された。だが対象事件はわずか3%。任意段階での可視化も必要であるし、そもそも自白偏重の捜査の意識を変えない限り、冤罪(えんざい)は消えない。
取り調べの模様を録音・録画することに、捜査側からはかねて反対論が強かった。供述を得にくくなり、真相に迫るのが困難になると-。だが、過去の冤罪事件では、密室での不当な取り調べが明白だ。
可視化されると、強要された供述の任意性も信用性も一挙に崩れる。つまり捜査の適正化・透明化のツールと考えられた。その法制化は二〇〇九年の大阪地検特捜部による郵便不正事件がきっかけだった。
改正刑事訴訟法が今月一日に施行され、逮捕後の全過程で録音・録画が義務づけられる。もっとも対象となるのは、裁判員裁判事件と検察独自事件のみで、全事件のわずか3%にすぎない。痴漢や万引でも深刻な冤罪は起きる。対象範囲を全事件・全過程に拡充する必要性は自明の理であろう。
同時に逮捕前の任意段階での録画が含まれないのはおかしい。任意段階で実質的な取り調べが始まるケースは多いからだ。任意聴取では机をたたき、怒鳴って、威圧的に自白を迫る-。逮捕後に紳士的に取り調べをしては、まるで意味をなさない。任意段階でも可視化は不可欠と考える。
ただ可視化は冤罪防止の切り札ではない。被疑者に有利に働くのではなく、中立的な記録である。過信は禁物だ。実際に検察は映像記録を実質証拠とし、有罪立証に積極的に使うようになった。しかし、映像はあくまで任意性判断の補助的な役割のはずである。何らかの事情で被疑者がうそをつく危険性もあるからだ。
実際、〇五年の栃木県内の女児殺害事件では一審公判で自白部分を含む映像が再生された。被告は「誘導による自白だ」と主張した。一、二審とも有罪だったが、二審では映像から有罪を直接的に認定するのは、違法だと指摘している。
だから、最良なのは弁護士立ち会いの制度ではなかろうか。供述の自由を確保するために、諸外国ではごく一般的に行われている。
同時に長期にわたり身柄拘束し、自白を得ようとする「人質司法」も廃さねばならない。捜査側が自白偏重の意識を変革させることが大事だ。絡み合って冤罪の温床になっているのだから…。刑事司法改革はまだ道半ばだ。