(余録) イエス・キリストがゆるした人々の罪はさまざまだ… - 毎日新聞(2019年5月26日)

https://mainichi.jp/articles/20190526/ddm/001/070/120000c
http://archive.today/2019.05.27-003049/https://mainichi.jp/articles/20190526/ddm/001/070/120000c

イエス・キリストがゆるした人々の罪はさまざまだ。病気を治し、不義をゆるす場面が新約聖書に描かれている。罪を悔い改め、信仰を深くすることが条件だ。だが、永遠にゆるされない罪もあった。神の力を信じない侮辱罪である。
目が見えず、口のきけない人をイエスが治したときのこと。「悪魔の仕業」と疑う人々にこう言った。「人が犯すどんな罪や冒〓(ぼうとく)もゆるされるが、聖霊に逆らう冒〓はゆるされない」
戦前の日本なら天皇に対する不敬罪かもしれない。ただし、大正天皇崩御(ほうぎょ)に伴う恩赦では不敬罪に問われた宗教指導者を免訴している。天皇とキリストの寛大さを比較などしようもないが、“主”が施す恩恵には違いない。
有罪を無効にしたり、失った資格を回復したりする恩赦を政府が検討している。天皇陛下の即位に伴う今秋の儀式に合わせるという。国家的な慶弔時とはいえ、たまたま一部の人だけが恩恵を受ける恩赦に合理性を見いだすのはむずかしい。
基準や範囲も不明でプロセスも不透明だ。今夏には参院選がある。衆院との同日選もくすぶる。選挙後に公職選挙法違反者が大量に救済されるなら、「政治恩赦」のレッテルを貼られるのは避けられまい。
イラク戦争開戦など強権をふるったブッシュ米大統領だったが、恩赦には手を焼いたようだ。コネを使ってすり寄り、恩赦を持ちかける人々の多さにうんざりしたと回顧録に書いている。「とてつもない不公平」を目の当たりにしたからだ。教訓とすべきだろう。