新元号「令和」発表 公文書の西暦併記推進を - 琉球新報(2019年4月2日)

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5月1日に施行される新たな元号が「令和(れいわ)」に決まった。7世紀半ばの「大化」以来248番目の元号だ。
といっても、沖縄で日本の元号が一般に用いられるようになったのは140年前の琉球処分琉球併合)以降のことである。復帰前の米国施政下では西暦が中心だった。
天皇一代に一元号という形が始まったのは明治時代からだ。戦後、法的根拠を失っていたが、1979年に元号法が制定され、政令で定めること、皇位の継承があった場合に限り改めることを明記した。当時、一世一元制は国民主権憲法理念に反するといった批判があった。
沖縄は去る大戦で日本で唯一、おびただしい数の住民を巻き込んだ地上戦が繰り広げられ、12万2千人余の県民が犠牲になっている。
本土防衛の時間稼ぎに利用されたからだ。戦争責任が天皇制に根差すものであるとの見方から、複雑な県民感情があり、元号法制化に対しても反発があった。
元号法案を審議した79年の衆院本会議で当時の大平正芳首相は「46都道府県、千を超える市町村が法制化の決議を行い、その速やかな法制化を望んでいる」と述べたが、沖縄県議会だけは同趣旨の議決をしていない。
元号は国民に強制するものではなく、使用するかどうかは個々人の自由だ。公文書についても、年表記を元号にしなければならないといったルールはない。
元号だけの表記だと、何年前の出来事なのかを確認するのに、いちいち西暦に変換する必要があり、不便だ。元号が変われば、ますます分かりにくくなる。
そのため、地方自治体の中には、公文書に元号だけを用いてきた慣行を改め、西暦を併記する動きも見られる。国民の利便性を高める観点からは、西暦の併記が拡大される方が望ましい。この機会に、公文書の年表記の見直しを進めてほしい。
過去の元号で出典が明らかになっているものは中国古典を典拠としているが、今回は万葉集だった。国書(日本古典)から採用されるのは確認できる限りでは初めてだ。
政府は「国文学、漢文学日本史学東洋史学」の分野から専門家を選び、新元号の候補を考案させた。選定の経緯については詳細に記録に残し、適切な時期に全てを公表すべきだ。
「令和」には人々が美しく心を寄せ合う中で文化が生まれ育つという意味が込められているという。「厳しい寒さの後に見事に咲き誇る梅の花のように、一人一人の日本人が、明日への希望とともに、それぞれの花を大きく咲かせることができる。そうした日本でありたいとの願いを込めた」と安倍晋三首相は言う。
花を咲かせる以前に、戦争や災害のない時代であってほしい。新たな元号が平和の代名詞になればいい。