原発と民意 なぜ“声”は届かない - 東京新聞(2019年3月30日)

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女川原発の再稼働の是非を問う住民投票の直接請求を、宮城県議会が否決した。原発を抱える静岡や新潟県でも「国策になじまない」などとして、議会に退けられている。なぜ“声”が届かない。
地方自治法の規定では、有権者の五十分の一以上の署名をもって、自治体の長に住民投票条例の制定を請求できる。
年内にも原子力規制委員会の審査に通るとされる東北電力女川原発2号機。その再稼働の是非を問いたいと、十一万を超える署名が集まった。法定の約三倍だ。それでも県議会は「多様な意思を正しく反映できない」などとして、条例案を否決し請求を退けた。
女川原発も震災の被害に遭っている。原子炉を停止に導く外部電源や非常用電源にもトラブルが生じ、使えないものが出た。
原発事故の放射性物質は広い範囲に降り注ぐ。宮城県内でも今現に、水産物の輸出禁止や汚染廃棄物の処理問題など、福島第一原発の影響が続いている。
女川原発の三十キロ圏内では、七つの市町に二十一万人が暮らしていて、避難計画の策定を国から義務付けられている。過酷事故の大混乱の中、果たしてスムーズに避難などできるのか。住民の多くは避難計画そのものに懐疑的だ。
それでも再稼働への“事前同意権”を持つのはやはり、原発が立地する女川町と石巻市、そして県に限られそうで、他の五市町には資格がない。それこそ多様な意思を正しく反映できていない。
危険も義務も不安も不便もそこにある。それなのに、ノーという権利はない-。理不尽と言うしかないではないか。
宮城県村井嘉浩知事は、条例案への賛否を明らかにせず、議会に付した。しかし、県議会の質疑の中では「(原発再稼働は)これからも国が責任を持って判断すべきだ」と、まるで人ごとだ。
国や電力会社は「立地自治体などの理解と協力を得られるように取り組む」という、一方通行的な基本姿勢を崩さない。
宮城県だけのことではない。国民の過半が原発再稼働に反対し、大半が再稼働への同意権を持っていない。それなのに3・11後、五カ所九基がすでに、立地自治体の同意の下に再び動き始めている。
原発再稼働に不安を覚える住民と「国に任せろ」という議会や首長。この温度差は、なぜ起きてしまうのか。統一地方選真っただ中で、私たちも思いを巡らせたい。