松橋事件無罪 失われた歳月を思え - 東京新聞(2019年3月29日)

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一九八五年の松橋(まつばせ)事件(熊本)の再審で男性が「無罪」となった。冤罪(えんざい)事件が相次ぐ。無実の人はもっと早く救済されねばならないはずだ。証拠開示など、その糸口となる仕組みづくりが必要だ。
国連の拷問禁止委員会で日本の刑事司法制度について「中世(魔女狩り裁判)のなごりだ」と指摘されたことがある。二〇一三年のことだ。弁護人に取り調べの立ち会い権がないことや、自白偏重の捜査などが問題視された。
松橋事件はまさに虚偽の自白を強いられ、捜査当局に都合のいいように供述が変遷した典型例だ。殺人事件が起き、知人の男性が殺人犯に仕立て上げられた。
当初の自白だと、凶器とされた小刀に血液が付着する。だが、小刀に血液はなかった。そのため捜査当局は「小刀にシャツの左袖を巻き付け、犯行後に燃やした」と供述内容を変えた。付着するはずの血液の問題も、シャツを燃やしたことで理屈は通るのだ。
ところが、驚くべき展開があった。弁護団が再審請求の準備で熊本地検に「証拠物の衣類を見せてほしい」と求めた。すると検察が開示した大量の証拠物の中に、問題の布きれがあった。
燃やしたはずの布きれが出てきたのだ。これは決定的である。それでは男性が布を巻き付けた事実も存在しなくなる。
もともと男性と殺人事件を結びつけるものは自白しかなく、その自白内容が客観事実と矛盾したことで、信用性が一挙に崩れてしまった。男性が「無罪」となるのは明白だった。
捜査に見立てはあるかもしれない。だが、男性は犯人でないから虚偽自白するしかない。だから、客観事実と符合しない事実が出るたびに自白内容を変える。それで殺人犯に仕立てるとは、まるで当局の“犯罪”ではないか。
無罪判決で名誉を回復するまでに実に三十四年も費やしてしまった。まさに「中世のなごり」の批判は当たっていよう。
まだまだ各地に冤罪は潜んでいないか。それを発掘し、無罪とするのが人権の国の道だ。だが、再審は「開かずの扉」と呼ばれるほど困難だ。証拠や証言が虚偽だと判明したときや新証拠が発見されたときなどに限られる。
それには再審を求める段階から、検察側が無実につながる証拠を積極開示する必要がある。裁判官の前向きな指揮もいる。無実の人を救うのにためらいは無用だ。