<金口木舌>父と娘の会話 - 琉球新報(2019年3月20日)

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休暇をもらって東京へ行った時のこと。満員電車の中でほほ笑ましい父と娘を見掛けた。父親の年齢は30代半ばか。娘は小学3年くらいだろう。少々いたずらっ子らしい

▼娘は手にした紙片を父親の口元に押し付ける。「食べて」と言っているのだろうか。困ったような笑顔を浮かべ、父は紙片をくわえた。今度は頰をつねった。父は怒るでもなく、ただ笑っている
▼アナウンスや車輪の音に遮られ2人の会話の内容は聞こえないが、とても楽しげだ。周りの乗客は押し黙ってスマホの画面を見つめている。殺伐とした雰囲気が漂う車内で、親子の間に温かな空気を感じる
▼誰もが目にする、ありふれた親子の姿かもしれないが、痛ましい事件の後だけに和やかな関係が心に染みる。一時、糸満市で暮らしていた栗原心愛(みあ)さんが亡くなって、もうすぐ2カ月
▼2018年に摘発した児童虐待事件は1380件、被害に遭った子どもは1394人だったと警察庁が発表した。いずれも過去最多だ。なぜ子を殴り、あるいは育児を放棄するのか。社会の病理がここに極まる。大人の責任だ
▼電車内で親子を見ていたのは3分程度。列車を降りた2人は身を寄せ合って階段の向こうに消えた。私たちは笑顔で子に接し、会話を交わしているだろうか。仕事を言い訳にして、子との触れ合いを忘れてはいないか。わが身を省みる。