<金口木舌>茶色の風景 - 琉球新報(2019年3月13日)

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「茶色の風景」と聞き、何を想像するだろうか。岩手県宮古市東日本大震災に遭った関口琴乃記者が津波が来た時に見た風景だ。今月、避難した高台を訪れ、再びこの風景と出合ったことを10日付本紙に書いた

▼「茶色」とは枯れた草木の色を指す。背丈まで伸びた枯れ草は視界を遮り、街を襲う津波を見ることはなかった。その代わりに見た枯れ草の色が記憶に残った。中原中也の詩「サーカス」の一節「茶色い戦争」が頭に浮かぶ
▼この街で津波を逃れて高台に上り、同じような風景を見た人もいよう。波にのまれる家並みを凝視した人もいるだろう。被災地で人々は惨状を見つめ、それぞれの風景を切り取り、心に刻んだはずだ
地震の翌日、記者はがれきと化した街中で毛布にくるまれた遺体を見た。「何も感じることができなかった」という。心身を脅かす危機から自己を保つための防御だったのかもしれぬ。沖縄戦体験者から似た話を聞いた
▼大震災から8年が過ぎた。癒えぬ悲しみ、重い復興の足取り、続く原発事故の影響。報道を通じて今年も被災地の現状に接した。そして考える。沖縄でできることとは何か
▼「茶色の風景」のこと、被災者の心に広がる風景のことを思う。この8年で何か変わっただろうか、時が止まったままだろうか。いつか緑が芽吹く日が、暖かな光が差す日が訪れることを願っている。