(余録)3・11後の対談で哲学者の鷲田清一さんは… - 毎日新聞(2019年3月9日)

https://mainichi.jp/articles/20190309/ddm/001/070/125000c
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3・11後の対談で哲学者の鷲田清一(わしだ・きよかず)さんは「心のケアお断り」と張り紙のあった避難所の話をしている。「心の専門家」など立ち入ってほしくない被災者のいら立ちと、かける言葉にも迷う支援者が目に浮かぶ。
鷲田さんはそこで震災を経験した兵庫県のチームが「みごとに何も言わず」「テーブルが汚れていたらそっと拭き取る」ような支援で成果を上げていたとの報告を紹介している。善意がそのまま直ちに支援にはならぬ災害の現場だ。
2度の大震災など多くの災害に苦しんだ平成の30年余である。だがそれはボランティア元年といわれた「阪神」から、延べ550万の市民が被災地支援に参加した「東日本」を経て、市民共助の輪と経験が大きく広がった歳月だった。
振り返れば「阪神」当時は大勢の個人ボランティアの受け入れ態勢もなかった。「東日本」でも先のように、専門的なNPOなどの活動を調整する仕組みが整っていなかった。その教訓をふまえた取り組みも大きく前進した近年である。
受けた恩は返すより、必要とする人に送れば世の中は良くなる。作家の井上(いのうえ)ひさしさんはそれを「恩送り」と呼んで、自らボランティア活動を行っていた。自分らの経験に根ざす先の兵庫県チームの活動はみごとな「恩送り」だろう。
昨年の北海道地震でも東日本大震災を経験したボランティアの活動が報じられた。平成の災害列島から生まれた「恩送り」のネットワーク、次の世の共助の列島へとしっかり引き継ぎたい今年の3・11だ。