(余録) 法学者、穂積陳重は大正時代に開かれた展覧会で… - 毎日新聞(2019年3月7日)

https://mainichi.jp/articles/20190307/ddm/001/070/104000c
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法学者、穂積陳重(ほづみ・のぶしげ)は大正時代に開かれた展覧会で名奉行・大岡忠相(おおおかただすけ)の使っていたという巨大な毛抜きを見て驚いている。長さ7寸余というから21センチ以上あるこの毛抜き、忠相が判決を考える時に用いたという。
それでひげを抜きながら目を閉じ精神を集中したというのだが、聞くからに痛そうな話である。だが穂積はこの話にいたく感心し、「司直の明吏(めいり)が至誠己(おのれ)を空(むな)しうして公平を求めたる」ことの表れと著書「法窓夜話(ほうそうやわ)」でたたえている。
裁判官と検察官が1人2役の町奉行のような裁判は、法学で「糾(きゅう)問(もん)主義」という。その「大岡裁き」が今も人気の日本では、裁判官と検察官が分離した近代の司法制度の運用でも「糾問」の法文化が顔をのぞかせることが少なくない。
否認事件での勾留が長引く「人質司法」はその代表だろう。長期勾留が国際的に批判されたゴーン被告の3度目の保釈請求を裁判所が認めたのは、何かの変化の表れか。この手の否認事件で裁判の争点を固める前の保釈は異例という。
驚くのは保釈金10億円より、監視カメラ、通信制限などの保釈条件である。弁護側が示した厳しい制限を裁判所が認めたわけで、これも新機軸(しんきじく)だろう。裁判所が検察側のいう証拠隠滅の懸念と被告の防御権を双方考慮した結果である。
作業員姿の経営カリスマにもびっくりしたが、日本の司法の「糾問」体質に一石も二石も投げ入れたこの事件である。巨大毛抜きによる精神の集中ではかわせない司法のグローバルスタンダードへの要求だ。