(政界地獄耳) 清和会政権は自民党沖縄史の汚点 - 日刊スポーツ(2019年2月25日)

https://www.nikkansports.com/general/column/jigokumimi/news/201902250000216.html
http://archive.today/2019.02.25-070723/https://www.nikkansports.com/general/column/jigokumimi/news/201902250000216.html

自民党史にはさまざまな出来事があった。党内抗争が激化した40日抗争、平成になってからは2度、政権から転落。社会党と連立を組むなど説明のつかない荒業で政権に復帰したことまであった。時代とともに党内の顔ぶれや相関図も変わった。元首相・小泉純一郎、元党副総裁・山崎拓、元幹事長・加藤紘一が組んだYKKは3人の頭文字だが、その目標は打倒経世会田中派から連なる竹下派の各首相、竹下登橋本龍太郎小渕恵三らの支配を破ろうと作られた。

★小渕以降、森喜朗、小泉、安倍晋三福田康夫、つまり清和会が担ったことでYKKの役割は終わったが、昨今はその小泉が安倍政権批判を繰り返すのはいささか滑稽だ。内輪もめはともかくも、両派の政策で一番大きく差が出たのは沖縄政策ではないか。95年9月に起こった海兵隊員による少女暴行事件で沖縄世論は沸騰していた。橋本は首相として幾度も沖縄入りし、当時の沖縄県知事大田昌秀と膝を詰めた。橋本・クリントンの日米首脳会談で橋本は事務方が用意していない「普天間」を口にして普天間返還が決まっていく。

★そこで代替基地の議論が始まる。辺野古で決着直前に大田が反旗を翻す。その先はご案内の通りである。橋本の努力も参院選敗北で退陣を余儀なくされ、小渕は沖縄サミット開催で橋本の意思を継いだ。2000円札発行もこのころだ。しかし、その後の政権は沖縄に興味を示さず「普天間返還を決めたのに辺野古を認めない」、つまり「沖縄に問題あり」に議論がすり替わった。そして民主党政権の首相・鳩山由紀夫の着手は既に手に負える段階を超えていた。思えば鳩山も自民党時代、竹下派だった。安倍政権は「辺野古が唯一の解決策」「沖縄に寄り添う」というものの、その努力は橋本・小渕時代に比べれば皆無に等しい。自民党沖縄史中の清和会政権は汚点時代と言えよう。(K)※敬称略