(余録)「いじめる」という言葉は江戸時代の後期に現れた… - 毎日新聞(2019年2月7日)

https://mainichi.jp/articles/20190207/ddm/001/070/150000c
http://archive.today/2019.02.07-111805/https://mainichi.jp/articles/20190207/ddm/001/070/150000c

「いじめる」という言葉は江戸時代の後期に現れた。それよりも少し前に「いじる」が使われ出し、その語幹「いじ」に語尾「める」がついて「いじめる」になったという。
つまり「いじる」「いじめる」は同根の言葉だったらしい。後に「いじる」はもっぱら手で触ったり、もてあそんだりするのをいうようになる。今日「いじる」と「いじめる」が再び似た意味で用いられるのは皮肉な先祖返りである。
寄席では客にからんで笑いをとる芸を「客いじり」といった。今のテレビのバラエティー番組でも、芸人同士や素人相手にからかいの突っ込みを入れるいじり芸が場を盛り上げる。それを見て翌朝、学校に来るのは生徒だけではない。
山口県で県立高2年の男子生徒が自殺した問題で、県の検証委は一部教員にいじめに類する行為があったと最終報告した。テスト中に「ちゃんとやったか」と話しかけたり、授業の最中に名前を連呼したり、いわば生徒いじりである。
報告は生徒間のソーシャルメディアでの仲間外しなどのいじめを認定したが、教員の行為がいじめを助長した可能性も指摘する。教師は集団を掌握する軽い「芸」と考えたのかもしれぬが、いじられ役を負わされた生徒はたまらない。
圧力釜にも似た学校の空間では軽いくすぐりも時に残酷な暴力に変わるのは教師なら知っていよう。そして学校でいじられキャラを演じさせられている君、つらくとも死んではいけない。人の心にひそむ魔物に君の未来を手渡さないでほしい。