(余録)27年ぶりに無冠になったとはいえ… - 毎日新聞(2019年1月20日)

https://mainichi.jp/articles/20190120/ddm/001/070/099000c
http://archive.today/2019.01.20-011036/https://mainichi.jp/articles/20190120/ddm/001/070/099000c

27年ぶりに無冠になったとはいえ、羽生善治(はぶ・よしはる)九段は、どんな頭脳の持ち主かと思う人は多いだろう。羽生さんに限らなくても、対局終了後に行われる感想戦にはいつも驚かされる。一手一手を記憶するのはプロなら当たり前だろうけれど。
では記憶力は入学試験でどこまで重視すべきか。きのう始まった大学入試センター試験は2020年度から大学入学共通テストに変わる。知識偏重から思考力や判断力を問う方向へ転換するという。だが簡単な道ではないはずだ。
それは外国でも課題だったようだ。16世紀フランスの思想家、モンテーニュは著書「随想録」の中で「詰め込み教育」を批判している。「われわれは、ひたすら記憶をいっぱいにしようとだけ努めて、理解力とか良心などはからっぽのままほうっておく」
彼は批判の矛先を教師に向ける。鳥は穀物を探しに出かけ、それを味わいもせずに、ひなに餌として与える−−それと同じように「書物の中で知識をあさっては、それを口の先にのせておくだけで、吐き出して、風の吹くままどこかに飛ばしてしまう」と。
もちろん知識は大事だ。羽生さんは著書「羽生善治 闘う頭脳」で、プロになって1年ほどたって「やっと考えることと知識がかみ合い始めた」と振り返る。つまり、詰め込み教育ゆとり教育のスイッチを入れ替えながら両方ともやっていく必要があるという。
なるほど。でも羽生さんのように、そんなことができる人はそうそういない。だから教育も試験も難しい。