(筆洗)独特にして奥行きある梅原日本学を築き上げた。 - 東京新聞(2019年1月15日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2019011502000147.html
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その学生は友人と話し込んでいたそうだ。その時、空襲を受けた。学生は本来入るべき防空壕(ごう)ではなく、友人の入る防空壕にやむなく逃げた。
空襲後、自分が入るはずだった防空壕を見に行った。中にいた者は死んでいた。「ばかやろう。こんな戦争はやめだ、ばかやろう、ばかやろう」。学生は涙を浮かべながら怒鳴っていたという。
一九四四年十二月、名古屋での空襲。学生とは九十三歳で亡くなった、哲学者の梅原猛さんである。「あるときは歴史学者、あるときは国文学者、あるときは宗教学者」。ご自身の評だが、幅広い分野を哲学という一貫した視点で包み込む。その手法で独特にして奥行きある梅原日本学を築き上げた。
法隆寺聖徳太子の怨霊を鎮魂するための寺であるとした『隠された十字架』など権力に恨みを抱えた怨霊が研究上の大きなキーワードになっていた。
世阿弥オオクニヌシの怨霊に乗り移られ、毎日楽しく仕事をしている」。十年ほど前、本紙連載の「思うままに」に書いていらっしゃったが、自身もやはり「知の怨霊」だったのかもしれぬ。おそらくそうなったのはあの「ばかやろう」と叫んだ日ではなかったか。
むごい戦争。生と死。日本人とは、人間とは何か。それが知りたい。その情念が長きにわたる研究へといざなったのだろう。そして知の怨霊は残した成果の中で永遠の存在となる。