平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵 天皇陛下85歳 - 東京新聞(2018年12月23日)

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2018122390071210.html
https://megalodon.jp/2018-1223-1105-47/www.tokyo-np.co.jp/s/article/2018122390071210.html

天皇陛下は二十三日、八十五歳の誕生日を迎えられた。これに先立ち、皇居・宮殿で記者会見に臨み、戦争と戦後日本の歩みを振り返りながら「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵(あんど)しています」と、平和が続いていることへの率直な心情を吐露した。 (小松田健一)
陛下は来年四月三十日に退位して上皇となった後は、全ての公務を新天皇の皇太子さまに譲るため、誕生日会見は今回が最後。平和希求への思いや、長年にわたって陛下を支えた皇后さまについて語ったときは、声を震わせる場面もあった。会見では、自らの天皇在位や人生を旅に例え、「天皇としての旅を終えようとしている今、私はこれまで、象徴としての私の立場を受け入れ、私を支え続けてくれた多くの国民に衷心より感謝する」と、国民に謝意を示した。
来年四月に皇后さまとの結婚から六十年を迎えるに当たっては「私の人生の旅に加わり、六十年という長い年月、皇室と国民の双方への献身を、真心を持って果たしてきたことを、心からねぎらいたく思います」と語った。
戦後に米国から返還された奄美群島(鹿児島県)、小笠原諸島(東京都)、沖縄県にも言及。「沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていくとの私どもの思いは、これからも変わることはありません」と強調した。日本で働く外国人の増加にも触れて「社会の一員として私ども皆が温かく迎えることができるよう願っています」と述べ、多文化が共生する社会を望んだ。
次の天皇となる皇太子さまと皇嗣(こうし)となる秋篠宮さまには「共に多くの経験を積み重ねてきており、皇室の伝統を引き継ぎながら、日々変わりゆく社会に応じつつ道を歩んでいくことと思います」と新時代の皇室に期待を寄せた。

◆沖縄へ 皇后さまへ 声震わせ

沖縄や平和、困難な状況にある人々への思い、そして皇后さまへの感謝。陛下は、こみ上げるものを抑えつつ、何度も声を震わせながら語られた。時間にして約十六分間。会見場の皇居・宮殿「石橋(しゃっきょう)の間」は、静寂の中に陛下の声が響いた。
「沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を…寄せていくとの私どもの思いは、これからも変わることはありません」
記者団の質問に対する答えを記した紙を穏やかに読み上げていた陛下。最初に声がくぐもったのは、沖縄について触れたときだ。太平洋戦争末期の地上戦で大きな被害を受けた沖縄を皇太子時代から皇后さまとともに十一回訪れ、戦没者の慰霊や県民との交流を続けてきた。
戦争の記憶の継承に話を進め「戦後の平和と繁栄が」と言いかけ、「このような多くの犠牲と国民のたゆみない努力によって築かれたものであることを忘れず」との言葉を継ごうとする間に再び声を震わせ、「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵(あんど)しています」と結んだときは、涙声に聞こえた。
大規模災害の被害への悲しみを語り、その中でのボランティアなど国民の助け合いの心が生まれたことに触れた際、声は再び震える。涙は見えなかったが、語るにつれあふれ出た思い。これらの事柄は象徴として特に心を寄せたことと重なり、その思いの深さをうかがわせる。
陛下が記者会見で感極まることはこれまでもあり、二〇〇九年の結婚五十年の記者会見でも感謝の気持ちを口にされ、声を震わせた。今回、最も感情の高ぶりを感じさせたのは、国民への感謝とともに皇后さまへの感謝を「自らも国民の一人であった皇后が、私の人生の旅に加わってくれた」と話したときだった。
幼少期から知る学友の一人が本紙の取材に、陛下の人柄を「結構、熱いところがある」と評したことがある。側近は「ご自分が触れたいと思ったことを心を込めてお話しになったので、これまでのさまざまな出来事が胸に去来したのだろう」と推し量った。 (荘加卓嗣)