辺野古土砂投入「構造的差別」変わらず - 毎日新聞(2018年12月14日)

https://mainichi.jp/articles/20181214/k00/00m/010/197000c
http://archive.today/2018.12.15-001656/https://mainichi.jp/articles/20181214/k00/00m/010/197000c

辺野古移設に「ノー」を突き付けた沖縄県知事選からわずか2カ月半。政府はなりふり構わず移設の実現に突き進み、土砂投入に踏み切った。米軍普天間飛行場の県内移設問題は後戻りできない局面に突入した。
多くの沖縄の人たちが今、憤りや悔しさ、無力感を抱き、辺野古の海が埋められていく光景を見ている。県内での代替施設建設を条件に日米が普天間飛行場の返還に合意して22年半。この間、沖縄側が「苦渋の決断」で受け入れた計画は簡単にほごにされた末、選挙で何度も示した民意も無視され続けてきた。
果たして全国の米軍専用施設の約70%が集中する沖縄で、新たな基地の建設にもろ手を挙げて賛成した人がどれほどいただろうか。「普天間飛行場が返ってくるならば」と容認したか、「なぜまた沖縄に」と反対したか――。政治的立場に関係なく「これ以上の基地はない方がいい」というのが本音であり、民主党政権が県外移設を模索した後は「移設反対」の明確な意思表示が続いてきたはずだ。
それでも安倍政権は「日米の合意事項」として移設計画の見直しを拒み、米国との約束を果たすためには民意を踏みにじることもいとわない。「唯一の解決策」「沖縄に寄り添う」と繰り返すだけで移設を強行する「民主主義国家」の有りようを、沖縄だけでなく、多くの国民が疑問に感じ始めているのではないか。
埋め立ては始まったが、今後の工事はなお難航が予想される。「普天間辺野古か」といった不幸な選択をいつまで沖縄に背負わせ続けるのか。政府が普天間飛行場の運用停止と移設計画の見直しを米国に求めなければ、沖縄が過重な基地負担を「構造的差別」ととらえる構図は変わることがない。【遠藤孝康】