(余録)権力分立を唱え… - 毎日新聞(2018年12月11日)

https://mainichi.jp/articles/20181211/ddm/001/070/184000c
http://archive.today/2018.12.11-003722/https://mainichi.jp/articles/20181211/ddm/001/070/184000c

権力分立を唱え、近代司法に大きな影響を与えた18世紀のフランスの哲学者モンテスキューの「法の精神」である。そこでは江戸時代の日本の法制度がさんざんに言われているのは、以前の小欄でも触れた。
徳川将軍のことらしい「皇帝」の専制と、残虐で容赦ない刑罰が特徴とされ、むしろ酷刑が逆効果になっているという。オランダからの日本情報や、キリシタンの殉教の影響がうかがえ、当時の欧州の典型的な日本イメージであろう。
幕末の不平等条約治外法権も欧米人に日本の刑罰の残虐が印象づけられていたのと無縁ではなかろう。その後、法体系を整え条約改正を果たした日本だが、21世紀にもなって法の過酷さが欧米で取りざたされるのはどうしたことか。
欧米のメディアで長期勾留や、弁護士の立ち会いもない取り調べが問題視された日産前会長のゴーン容疑者が再逮捕された。容疑は前と同じ有価証券報告書への役員報酬の過少記載の直近3年分で、これによって勾留はさらに長びく。
欧米メディアには内部通報と司法取引による摘発を日産の経営権にからむ陰謀のように報じる向きもある。「人質司法(ひとじちしほう)」などとかねて国内でも批判の強い長期勾留や自白偏重の捜査が、国際的に厳しい視線を浴びるのも当然であろう。
ことは江戸や明治の話でなく、グローバルな経済活動を支える法運用の透明性にかかわる問題だ。歴史や文化の違いを強調するより、普遍的な「法の精神」にもとづく捜査の公正に疑念をもたれないよう願う。