大嘗祭 異例の発言機に考える - 朝日新聞(2018年12月1日)

https://www.asahi.com/articles/DA3S13792764.html
http://archive.today/2018.12.01-000746/https://www.asahi.com/articles/DA3S13792764.html

秋篠宮さまが誕生日前の記者会見で踏み込んだ発言をした。
天皇の即位に伴い、来年秋に予定されている大嘗祭(だいじょうさい)について「宗教色が強いものを国費でまかなうことが適当かどうか。すっきりしない感じをもっている」と述べたのだ。
皇位継承儀式の執り行い方を決めるのは内閣であり、その判断に異を唱えた形だ。大嘗祭は国事行為ではなく皇室の行事と位置づけられる。だから質問に答えて皇族の一人として見解を明らかにしたとのことだが、政治的な対立に発展しかねない極めて微妙なテーマだ。
秋篠宮さまは7年前の同じ会見でも「天皇にも定年制が必要になってくると思う」と、いまふり返って問題の本質をついた発言をしている。
お仕着せでない肉声が発信されるのは歓迎だが、来春には皇位継承順位第1位となる立場を踏まえ、テーマや表現については慎重な対応を望みたい。
もっとも、今回の指摘それ自体は正鵠(せいこく)を射たものだ。
大嘗祭は、天皇が祖先や天地の神々に国の安寧と五穀豊穣(ほうじょう)を感謝・祈念する儀式で、神道方式で進められる。そのため政府も「国事行為として行うのは困難」としながら、「公的性格」があるとして、費用を公金である宮廷費から支出する取り扱いにしている。天皇ご一家の日常生活や通常の宮中祭祀(さいし)の費用をまかなう内廷費(お手元金)とは性格が異なるお金だ。
政教分離を定めた憲法大嘗祭との関係は、平成への代替わりの際も論議になった。「知事らが公費を使って大嘗祭に参列したのは儀礼の範囲内で違憲ではない」とする最高裁判決はあるが、国が大嘗祭に関与することや費用支出の合憲性についての判断は示されていない。
朝日新聞の社説はかねて、前回のやり方にただ従うのではなく、憲法の諸原則やこの間の社会通念の変化を踏まえてゼロから検討し、改めるべき点は改めるべきだと主張してきた。
ところが政府は突っ込んだ議論をしないまま、大嘗祭のあり方を含めて「前例踏襲」の基本方針を早々と決めてしまった。見直せばその内容がどうあれ、必ず疑問や批判が寄せられて対応に追われる。それを避けようと安直な道を選んだのだろう。憲法が掲げる価値に立ち返り、真摯(しんし)な議論を重ねていくというやり方がとられなかったのは、残念というほかない。
政府はきのう、方針に変更はない旨を表明した。誠実とは言い難いその態度は、政治への不信の石をまた一つ積み上げる。