(耕論)裁判官の品格 岡口基一さん、木谷明さん、阿曽山大噴火さん - 朝日新聞(2018年11月10日)

https://digital.asahi.com/articles/DA3S13762695.html
http://archive.today/2018.11.10-110620/https://www.asahi.com/articles/DA3S13762695.html

ツイッターで裁判の当事者の感情を傷つけたとして、現役の高裁判事が戒告処分を受けた。裁判所法が定める「品位を辱める行状」にあたるという理由だが、裁判官に求められる「品格」とは。

■ツイート、私生活の自由 岡口基一さん(東京高等裁判所判事)

最高裁は私が投稿したツイートが「裁判官の品位を辱める行状」にあたると判断し、分限裁判で戒告としました。ツイートは「品がない」という意見もありますが、受け手が評価することです。
それに、オフの時に投稿した内容です。オンとオフを分けて考えないと、裁判官は私生活で何もできないことになります。私も、裁判官を名乗る時は品格・品位を強く意識しています。裁判所を背負っている自覚がありますから。
裁判官に求められるのは、私生活の品行方正さでしょうか。裁判は、裁判官に「ありがたく裁いてもらう」ものではありません。私が自分のブリーフ姿をツイッターに投稿したことで、「ブリーフ一丁で人前に出ている人間には裁かれたくない」と言う人もいますが、裁判員制度では一般の国民が裁きます。パンツ一丁でテレビに出ているタレントが、裁判員として判決を決めることもあり得ます。
むしろ裁判官にとって大切なのは、真実にたどり着き、正確な判断をする能力だと思います。判断は人間がしているので、悪い方を勝たせてしまうこともありえます。古代の裁判では、神格化された裁判官がお告げのように判決を下したといいます。でも、何でもわかる人間などいません。そこで裁判という、合理的かつ科学的な仕組みが築かれました。裁判官は当事者の主張を踏まえて真実を見極め、判決で結論に至った理由を明確に記します。
判決は事後的な検証にもさらされます。問題とされた、犬の所有権をめぐる裁判に関するツイートを紹介したのも、同じ趣旨です。私は20年近くネットで発信していますが、読者の多くは法曹関係者です。実際の事件は有用な題材になるので、当事者を匿名にして裁判例を論じることは、法律家が昔から行ってきたことです。
事後の検証に耐えられるかという点では、私の分限裁判の決定は極めて不十分だと思います。審問は一度だけで、私が主張した「裁判官の表現の自由」についてほとんど触れていません。結論としては裁判官全員に対して「24時間、裁判官でいろ」と求めた内容だと思います。裁判官の存在をベールに包み、威厳を高めたいのでしょうが、それでは古代の「神格化された裁判官」と同じです。そうではなく、裁判官としての仕事の中身を見極めるべきです。
三権の中で、立法や行政は多数決の原理で動きます。これに対して、司法は少数者の権利を守ることが役割です。そのためにも、私は自分の表現の自由を守りたい。自分の自由を守れない裁判官が、他人の自由を守れるはずがないからです。SNSでの発信も続けます。二度目の戒告を受けるかもしれませんが。(聞き手・北沢拓也)

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おかぐちきいち 1966年生まれ。94年判事補任官、現・東京高裁判事。法曹向けの実務書も数多く出版しベストセラーに。



■意見表明、裁判でこそ勝負 木谷明さん(元東京高裁部総括判事)

裁判官による表現行為を懲戒に問うことは慎重でなければなりません。当局による懲戒は、必然的に裁判官を萎縮させる効果を伴うからです。
そういう意味で、今回の件は不幸な事案だったというべきでしょう。ただし実際に行われた行為はいかにも軽率であり、処分自体はやむを得ないと思います。
「え?あなた?この犬を捨てたんでしょ? 3か月も放置しておきながら・・」というツイートは、犬の所有者を面白半分に揶揄(やゆ)していると受け取られても仕方のない内容です。読む人に「裁判官ってそういう一方的な考え方をする人種なのか」という印象を与え、裁判官の公平・公正さに関する国民の信頼を裏切る行為と言えます。それ自体、懲戒の対象となる「品位を辱める行状」に当たるといわれても弁解できません。
私は、裁判官にも私人としての表現の自由はあり、尊重されなければならないと思います。しかし裁判官には、紛争解決に関する最終的手段である裁判という仕事を公正・公平に遂行する重い責務があります。そのために国会に設置される弾劾(だんがい)裁判所の裁判を経なければ、やめさせられることがないといった強い身分保障を受けている事実は軽視できません。
ですから、私人として行動する際も、裁判への国民の信頼を損ねないよう慎重に行動するべきです。「裁判官といえども、午後5時を過ぎれば一私人だ」という考え方を私は取りません。裁判官は午後5時を過ぎてもあくまで裁判官であって、普通の市民と全く同じ私人ということはできないと思います。
私人としての意見を表明したいなら、140字の字数制約のあるツイッターではなく、自分の意図をより正確に表すことができる何か別の表現方法を使うべきではないでしょうか。また、どうしてもツイッターというツールを使って発信したいのであれば、自分が裁判官であるとわかるような投稿方法ではなく、投稿者の氏名を仮名にするなどの方法を考えるべきです。
裁判官はホームグラウンドである裁判の場においては、自らの信ずるところに従って意見を表明する自由が完全に保障されているのです。裁判官は本来、裁判という土俵でこそ真剣勝負すべきでしょう。
 岡口裁判官は、私が水戸地裁所長時代に管内の支部で勤務していましたが、特に印象に残っていることはありません。しかし、ベストセラーとなった著書もあり、有能な民事裁判官であると聞いています。そういう人が、今回のようなことから裁判所にいづらくなるようなことがあっては、裁判所の損失です。今後も裁判官として立派な裁判をしてくれることを期待します。(聞き手・山口栄二)

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きたにあきら 1937年生まれ。63年判事補任官。最高裁調査官などを歴任。法政大学法科大学院教授を経て、2012年から弁護士。



■判決、もっと「顔」見えても 阿曽山大噴火さん(裁判傍聴芸人)

裁判官って「無名な公人」だと思うんですよ。事件の判決の記事には必ず裁判長の名前が載っているのに、「あの人か」とはならない。一人ひとりの顔が見えないから、裁判官という職業だけでくくって、すごくまじめで、堅苦しい人だというイメージをみんなが勝手に持っている。
裁判を傍聴してわかったのは、裁判官も人それぞれだということです。傍聴するのはほとんど刑事裁判ですけど、裁判官の個性が出るのは、最後にやる被告人への補充質問ですね。ほとんど補充質問をしない人もいますけど、手続き的な質問だけじゃなくて、今後の更生をどうするのかとか、一歩進んだところまで聞く裁判官は面白いですよ。
被告は大体「もうやりません」と言うんですが、「なんでそう言い切れるんですか」「前回もそう言ったでしょ」。「いや、今回は本当に反省しました」と言うと、「そういう人がまたやるのを何度も見ているんです」「そんなぼんやりしたことじゃダメですよ」とか説教する。いい裁判官は説教にも味がありますよ。再犯してほしくないという一期一会の思いがある。
補充質問で、裁判官自身の経験とか、プライベートな部分が出てくることがあるんです。被告に娘がいるとわかると、急に前のめりに話し出す人とかいて。たぶん自分にも娘がいるんでしょうけど、そういう部分を出してくれる裁判官のほうが、人間として信用できるな、と思います。
だから、岡口さんみたいに実名でSNSをやって、プライベートなことも発信する裁判官がもっと増えればいいと思っていますよ。ツイートからこういう考え方の人だということが垣間見えると、判決の記事が出たとき、「あの裁判官がこういう判決をしたのか」とひもづけされて、事件の見え方が少し違ってくるんじゃないですか。
ふだん「表現の自由」と言っている裁判官がSNSを自粛したり、匿名でやってたりしたらおかしいでしょう。どこまではやっていいというガイドラインを作っておけばすむ話ですよ。岡口さんのツイートは面白いのもつまらないのもありますけど、裁判官がしょうもないツイートをする権利だってあるわけだから。
問題のツイートは、自分が関わっていない裁判の被告の言い分を要約しただけでしょう。あれで「裁判官に対する信頼を損なう」と言われても、全然そうは思わないですね。最高裁は、すごく主観的に「原告の感情を傷つける」「品位を辱める」とか決めつけている。よっぽど裁判所への信頼を損ねていますよ。
日本の裁判は判例主義といいますけど、最終的には人が裁いているわけですよ。もっと裁判官の顔が見えてもいいんじゃないですか。(聞き手 編集委員・尾沢智史)

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あそざんだいふんか 1974年生まれ。定期券で裁判所に通い、年間800件以上の裁判を傍聴する。著書に「裁判狂時代」など。