(私説・論説室から)62年前の模写 - 東京新聞(2018年11月7日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2018110702000189.html
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原爆の図丸木美術館で展示されていた原爆の図の模写を見に行った。六十二年前、愛知県岡崎市男川小学校の児童が描いた。
模写は、宇野正一教諭が原爆の図を五年生に見せたことがきっかけだった。菩薩(ぼさつ)のようにほほ笑んでいる人物も描かれていて、地獄絵さながらの原作に比べ、不思議な生気に満ちていた。子どもたちの筆を通して犠牲者たちが供養されているようにも見えた。
描いた一人、近藤秀司さん(73)=岡崎市=に話を聞くことができた。「宇野先生は宗教、文学、絵に詳しかった。広島で衛生兵をやっていたそうです。原爆が落ちたときにはいなかったけれど、一緒に働いていた人が死んだと聞きました」。皆で缶を集めたり、近くの川でシジミを採ったりして売って、炎を描く金粉などの費用に充てたという。
六年生になっても続いたが教育委員会から「思想的」と批判されて中断に追い込まれた。子どもたちに理由は知らされなかった。
最近も原発にまつわる写真が「政治的」だとして、自治体が一時、展示を拒否した。忖度(そんたく)と名付けられた、権力へのおびえの感情は常に社会に漂う。男川小の模写は、燃やされそうになったが、近所の徳応寺の住職が引き取り、今も毎年夏に展示している。この国の「自由」は市井の人の志で辛うじて紡がれてきた、細い一本の糸のようにも感じる。 (早川由紀美)