「愛と法」 日本社会の見えにくい問題を可視化したかった - 毎日新聞(2018年10月21日)

https://mainichi.jp/articles/20181017/mog/00m/040/019000c
http://archive.today/2018.10.21-020753/https://mainichi.jp/articles/20181017/mog/00m/040/019000c

大阪で「なんもり法律事務所」を営む弁護士“夫夫(ふうふ)”、南和行さんと吉田昌史さんの日常を3年にわたり撮影したドキュメンタリー映画愛と法」(2017年)は、第42回香港国際映画祭の最優秀ドキュメンタリー賞をはじめ、さまざまな映画祭で高い評価を受けた。同作の監督は、日本で生まれ、10歳からオランダで生活し、イギリスを拠点に映像製作を行ってきた戸田ひかる監督。映画を撮影するきっかけは、一時帰国のたびに感じていた「ある疑問」にあった。
共同体が個人よりも優先される国、日本
「日本では、個人あっての社会ではなく、あくまでも家族や会社という共同体の一員としての個人が尊重されます。自己主張するのが当たり前な環境のオランダやイギリスとは違い、日本では和を乱すと言われる」と戸田監督。
和を重んじることは決して悪くはないが、一度その枠組みから外れると、個人の権利は守られない。同調圧力が強い日本で、マイノリティーはどのように生きているのか−−。一時帰国するたびに、そんな疑問を感じたという。戸田監督自身、海外では「日本人」、日本では「海外暮らしの長い日本人」という目で見られるマイノリティーだ。
映像関係の仕事で大阪に滞在していた12年のある日、南さんと吉田さんに出会った。二人は、ゲイのカップルで法律上は他人という不条理にさらされながら、弁護士として人の権利を守るため、セクシュャル・マイノリティーや親の愛情を得られない子供など、法や社会の枠組みからはじき出された人たちの依頼を受け入れている。「お互いに弱さをさらけ出し、受け入れ合うからこそ、強い。二人三脚で私生活も仕事も乗り越えていく二人の理想的な姿にひかれました」
職業柄、日本の見えにくい問題と対峙(たいじ)している南さんと吉田さんの視点から社会を捉えれば、その答えが得られるかもしれない。二人に撮影の了承を得て、イギリスから大阪に引っ越し、「愛と法」を撮り始めた。
映画には、ある印象的なシークエンスがある。校庭で「1、2、3、4…」の掛け声と共に一糸乱れぬ動きを見せる体操着を着た中学生たちのショット、その後に、「戦争法案! 絶対反対!」と一定のリズムで声を合わせてデモ行進する大人たちのシーンが続く。日本では見慣れた風景だが、戸田監督は「中学生の動きが軍隊みたいで怖い」と感じた。「私が通っていたインターナショナルスクールでは考えられません。少なくとも一人は座り込んでいる。(日本では)誰もが秩序を乱さない。訓練されて体に染みついているんですね」
いまだ根強く残る「家制度」の価値観
映画では、南さんと吉田さんが弁護する三つの裁判をカメラが追う。
一つは、親の都合で出生届が出されなかったことが原因で無戸籍となった女性が、戸籍を求めた「無戸籍者裁判」。パスポートや運転免許なども取得できず、就学や就職の機会が阻害されることもある無戸籍者は日本で1万人を超えるとされている。背景には「妻が婚姻中に懐胎した子は、夫の子と推定する」「離婚後も300日以内に生まれた子は、前夫の子と推定する」という明治時代から続く民法の規定がある。戦後、家制度は廃止されたが、「いまだに男性社会の価値観を維持した法律が、変わらずに残っている」と、戸田監督は訴える。「無国籍の人は、全く罪がないのにこそこそ生きていかなくちゃいけない。そんな現状、おかしいじゃないですか」
また一つは、芸術家で漫画家のろくでなし子さんが、自身の女性器をスキャンした3Dプリンター用データを送信したなどとして「わいせつ電磁的記録等送信頒布」を含む3件で起訴された事件。ろくでなし子さんは「女性器をわいせつだとするのは、男性目線の固定観念だ」と主張し、日本社会のタブーや矛盾を暴き出そうとする。そんな彼女を、表現の自由を守らなくてはならないという思いで、南さんをはじめとする弁護士たちが集まり、サポートする。
“いろいろな普通”があることを知ってほしい
三つ目は、大阪府立高校の卒業式で、国歌の君が代斉唱時に起立しなかったとして減給処分を受けた元教諭が、処分撤回を求めた「君が代不起立裁判」。映画は、かつては君が代を「歌いたくない」という人がマジョリティーだったのが、大阪府の「君が代起立条例」施行後に「歌わなくてはいけない」という風潮に変化した状況を浮き彫りにする。
戸田監督は問う。「多くの人が『たかが歌でしょ、空気を読んで歌えばいいのに』と思うかもしれない。でも、教育の現場に政治が介入し『先生が歌うのは当たり前』という姿を見て育った子供たちには、どういう影響があるでしょう?」
映画では、「君が代不起立裁判」を終えた後、弁護を担当した吉田さんが「社会で虐げられているマイノリティーが守られる最後の砦(とりで)となるべき裁判所が機能しなくなったし、機能しようとする態度すら見せようともしない」と憤る場面がある。戸田監督は「世界的にマイノリティースケープゴートとされる傾向は顕著です」としながら、「でも人ごとではありません。誰でもマイノリティーな部分を持っている。環境が変わって、いつ自分がマイノリティーの立場になるのかわかりません」と続けた。
法律はもろ刃の剣。守られる人も、傷つけられる人もいる。戸田監督は語る。「撮影を通して、誰もが平等に守られていないことがわかりました。表面だけ見るとわからない問題を何とか可視化して、映画で問いかけたかった」
映画の中で、「それでも法律は世の中を変えていけると思っているし、信頼できないと思いながらも期待している」と希望を口にした吉田さん。戸田監督は、映画によって世の中を変えられると思っているのだろうか、最後に聞いてみた。
「世界を変えることはできないかな。物事に対する答えも出せないけれど、他の人の体験を通して、新しい視点で物事を考えて、感じ直すきっかけを作ってくれる。映画は疑問を投げかけるツールとして最適だと思います。皆さんに、『愛と法』を見て、“いろいろな普通”があることを知ってもらえればうれしいです」

とだ・ひかる 10歳からオランダで育つ。ユトレヒト大学(オランダ)で社会心理学ロンドン大学大学院で映像人類学・パフォーマンスアートを学ぶ。10年間ディレクターと編集者として世界各国で映像を制作。本作の撮影で22年ぶりに日本で暮らす。現在は大阪在住。
上映情報
愛と法

渋谷・ユーロスペース京都シネマなどでロードショー、ほか全国順次公開

公式ウェブサイト : http://aitohou-movie.com/