(筆洗)「とても」は主に「〜ない」などとともに使う言葉 - 東京新聞(2018年9月28日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2018092802000131.html
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「とても美しい」。日本語として表現上の不自然を感じる方は少ないだろう。作家円地文子は違った。<文章の中で「とても」を肯定に遣(つか)う気にはならない>(『おやじ・上田万年(かずとし)』)
「とても」は主に「〜ない」などとともに使う言葉で、肯定の用法は、円地の若いころに、はやり始めたという。父の学者上田万年は現代国語学の生みの親とされ、日本語の乱れに厳しかった。新たな使い方を嫌ったそうだ。芥川龍之介も、この用法を<新流行>と表現して、違和感をにじませている。
言葉は変わる。文化庁が例年発表する国語に関する世論調査は、それを知らされる機会だ。今週あった発表も豊富に例がある。
「なし崩し」に「げきを飛ばす」。いずれも二割ほどしか「少しずつ返していく」「考えを広く人々に知らせ同意を求める」という本来の意味を理解していなかった。小欄も多数派の一員だった。「立ち位置」なども新しい用法と意識せず使っていた。
いつかは「とても」のように完全に根付く用法なのかもしれない。数年前に調査に登場した「真逆」は今や新聞記事にも多い。
「流れにさおさす」を「傾向に逆らう」と本来の意味と逆に理解している人が多い。かつての調査結果にあった。言葉の変化の流れに安易にさおさしてはならない。言葉の世界に身を置く者としては、あらためて自らを戒める機会と思いたい。