<元気人@かながわ> お笑い端緒、人権守る 藤塚雄大さん(31歳):神奈川 - 東京新聞(2018年9月3日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/kanagawa/list/201809/CK2018090302000126.html
https://megalodon.jp/2018-0904-1840-32/www.tokyo-np.co.jp/article/kanagawa/list/201809/CK2018090302000126.html

本業は弁護士ながら、ピン芸人「まさるバンド」として活動している。透明人間との漫才コンビという設定。二〇一七年、「ひとり芸日本一」を決める「R−1ぐらんぷり」で一回戦を突破した。プロの芸人も出場し、八人に一人ほどしか通過できないといわれる狭き門。「司法試験に合格した時よりうれしかった」と振り返る。

■人をばかにせず
人権擁護に取り組む職業柄、こだわりがあり、「人をばかにするネタはやらない。誰も傷つかないお笑いを目指しています」。時事問題を積極的に取り入れ、憲法原発を考える集会に招かれるなど活動の場を広げている。
昔から人を笑わせるのが好きだった。お笑いの世界に足を踏み入れたきっかけは中学時代。当時はやっていたテレビのコメディー番組のパロディーを学年集会で披露し、大受け。味をしめて大学ではお笑いサークルに入って技を磨いた。
その頃、中学時代の担任がうつ病を患い、退職したと知った。「働く中で人が健康を害することがあるのか」と労働問題に興味を持ち、弁護士を目指すようになった。
大学卒業後は法科大学院に進み、勉強に専念するためお笑いは封印した。そのかいあってか司法試験に合格。厚木基地大和市綾瀬市)周辺の住民が国に損害賠償と飛行差し止めを求める騒音訴訟の弁護団に加わるなど、弱い立場に寄り添った活動に力を入れる。

■親しみやすさを
印象深いのは、ある末期がん患者の家族からの相談。持ち家があることを理由に、生活保護の申請を断られていた。同行して丁寧に担当者に事情を説明したところ、認められて自宅で最期を迎えられた。「家に居続けられるなんて夢のようです」という患者の家族の言葉が忘れられない。
弁護士になって再びお笑いの世界に戻ってきたのは、単に好きだからという理由だけではない。「お堅い人」というイメージがある弁護士を、親しみやすいと感じてほしいからだ。
法律の力で問題解決につなげられるのに、相談してもらえなかったり、遅れたりしてしまうケースが少なくないと感じている。次のネタはブラック企業にするつもりだ。「文句を言っても何も変わらないと、誰にも相談しない人が多い。お笑いをきっかけに相談へのハードルが下がり、困り事を抱える人の権利を守ることにつながればうれしい」 (加藤益丈)

私の履歴書
1987年 藤沢市生まれ

2005年 高校3年の時に、高校生のお笑いナンバーワンを決める「M−1甲子園」に出場

 06年 大学に入学しお笑いサークルに所属。以降、4年連続でR−1ぐらんぷりに出場するも1回戦で敗退

 10年 法科大学院に進学。お笑い活動は中断

 14年 司法試験に合格

 15年 横浜法律事務所に入り弁護士として活動を始める

 17年 R−1ぐらんぷりに5回目の出場。初めて1回戦を突破したが、2回戦で敗退