模造「命のビザ」救いの証し リトアニア公文書館が保管 - 東京新聞(2018年9月2日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/list/201809/CK2018090202000138.html
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第二次世界大戦中、駐リトアニアの領事代理としてナチス・ドイツの迫害を受けた多くのユダヤ系難民に「命のビザ(査証)」を発給した杉原千畝(ちうね)(一九〇〇〜八六年)が領事館を退去して以降も、他の人物が模造する形でビザが発給され続けたことはあまり知られていない。その「模造ビザ」が、リトアニアで保管されていることが分かり、記者が現地で確認した。ユダヤ人らの手による精巧な模造ビザは、杉原の知らないところで計五百通近く作成されたとみられ、数百人が出国を果たした可能性があるという。 (リトアニアの首都ビリニュスで、栗田晃、写真も)
模造ビザは、旧ソ連国家保安委員会(KGB)の前身組織が一九四一年にビザ作成グループを摘発した際の事件報告書とともに、首都ビリニュスの国立特別公文書館が保管。ロシア国立人文大のイリヤ・アルトマン教授(63)らの共同研究の一環で、現地の研究員が数年前に見つけた。
公文書館のビリマ・エクチテKGB資料部長によれば、ソ連によるリトアニア併合に伴い、杉原がカウナスの日本領事館を退去した四〇年九月以降、四一年二月までに計四百九十二通の模造ビザが作成され、計九十四人が拘束された。公文書館には、ソ連当局が差し押さえた未使用品や、出国に失敗した難民から取り上げられた模造ビザ四十点が残っている。
ビザは英国が発行した身分証明書の裏に印刷。本物から透写してスタンプを作成し、行き先と発行日が手書きされ、領事館の公印も押されている。作成グループの一つはユダヤ人、ポーランド人ら十人で構成。プロの印刷職人も含まれていたという。
希望渡航先に関するアンケート用紙も添付されている。子ども四人を連れてメキシコを目指す夫婦や、婚約者が住む米国行きを望む男性、オーストラリアにいる兄弟を頼る男性など、ビザを求めた人たちの切実さが伝わる。
四一年一月末の時点でリトアニアには出国を求めるユダヤ系難民三千人近くが滞在。エクチテ氏は「ビザへの需要は高かった。模造だと判別されず出国した人もいただろう」と述べた。
報告書は、模造は売買目的だったとしているが、アルトマン氏は「人命を救う目的があったと思う。売買目的と供述した方が政治的意図を疑われず、罪が軽くなるからだ」と分析。「模造ビザによる出国者は、杉原が間接的に救った人たちともいえる」と話した。
模造ビザの発見は、諸説ある杉原が「命のビザ」で救った人数の推定にも役立つとも指摘。「杉原が作成したビザのリストにある計二千百四十人に加え、模造ビザによる出国分を数百人と推計すれば、約二千五百人とみるのが妥当だ」と指摘している。