(論壇時評)杉田水脈とLGBT問題 「弱くある自由」認めよ 中島岳志 - 東京新聞(2018年8月30日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/culture/rondan/CK2018083002000258.html
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杉田水脈(みお)衆院議員が『新潮45』8月号に寄稿した論考(「『LGBT』支援の度が過ぎる」)に、厳しい批判が殺到している。杉田は、LGBT(性的少数者)の人たちが「子供を作らない、つまり『生産性』がない」と述べた上で、「そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか」と疑問を呈している。また、性的マイノリティーの生き方を肯定的に報道することが「普通に恋愛して結婚できる人まで、『これ(同性愛)でいいんだ』と、不幸な人を増やすことにつながりかねません」と否定的な見解を述べている。
言語道断の暴言である。子供をつくることを「生産性」という言葉で語ること自体、大変な問題であり、ましてや同性愛者を「不幸な人」と見なすに至っては差別以外の何ものでもない。
筋ジストロフィーで生活の全てに介助が必要な詩人・岩崎航(わたる)は、「BuzzFeed News」7月25日掲載の「条件をつけられる命なんてない 相模原事件に通じる杉田議員の発言」(聞き手・岩永直子)の中で、杉田の発言を「2年前に起きた相模原事件の植松聖(さとし)被告と同質の発想」と指摘する。心身重複障害者を「生産性がない」と見なして生存を否定した思想は、杉田の論理と通底する。そんな暴言を現役の政治家が発信することで、暴力の芽を広げている。
問題は、なぜ杉田がこのような思想を持つに至ったのかというプロセスと背景を解明することだろう。
杉田が、著書や対談で繰り返すのが、「左翼嫌い」という心性である。大学時代に寮費の値上げをめぐって参加した反対運動の大会で、「しんぶん赤旗」学生版の購入を勧められたことに疑問を感じ、兵庫県の西宮市役所勤務時代に、共産党市議から同様の勧誘を受けたことから、その思いが決定的になったという。「地方公務員時代は、左翼と呼ばれる人達と“やり合う”機会が多々あり、私の“左翼嫌い”は確固たるものになったのでした」(『なでしこ復活』青林堂、2014年)
この心性は、左翼を既得権益と見なし、行政改革によって一新したいという思いにつながる。正規職の公務員は守られすぎていると考え、業務の民間へのアウトソーシングを進めたものの、厳しい批判にさらされ挫折したという。
そんな中、彼女は同じく行革を志向する同僚と勉強会を立ち上げ、竹中平蔵らがサポートする「スーパー公務員塾」とつながった。以降、政党関係者と接点を持ち、一二年の衆議院選挙に日本維新の会から立候補し当選。国会議員となった。
杉田が一貫して主張するのは、自己責任を基調とするリスクの個人化である。人生のさまざまなリスクは、自分が全面的にとらなければならない。児童福祉が存在するのは、行政の世話にならない大人に育ってもらうためと主張する。一方、福島で東京電力からの補償金を受け取り、仮設住宅で暮らす人たちを「被害者利権」と非難する(河添恵子との共著『「歴史戦」はオンナの闘い』PHP研究所、16年)。
杉田が繰り返し発信するのは、パターナル(父権的)な男女観・家族観である。「男女平等は反道徳の妄想」であるといい、「大多数の女性は男性と肩を並べて同じことをしたいとは思っていないんですよ」と断言する。かつては職場で露骨な女性差別があり、自分もそういう時代を経験して来たが、「いまはもうそんなことはないでしょう?」と言い、「そろそろ『足るを知る』という時期に来ていると思っているんです」と主張する。そして、父性復権による家族再興を説き、ジェンダーフリーこそ女性の幸福を奪っていると論じる(『民主主義の敵』小川榮太郎との共著、青林堂、18年)。
この主張の先に出てくるのがLGBTへの否定的発言であり、当事者の主張を「我がまま」な「特権」の要求と断罪する姿勢につながっている(『なぜ私は左翼と戦うのか』青林堂、17年)。
杉田の論理は、父権的社会規範に順応する強者の論理である。しかし、時折、弱者へと反転し、自由を阻害される苦悩にさらされる。彼女は妊娠時のつわりがひどく、「生まれて初めて倒れ」てしまい、五キロも痩せたという。このとき体の自由がきかなくなる苦しみを味わい、「私は私の人生」「子供は子供の人生」という考えを持ったという。
杉田は弱い立場に立たされたときの苦しみを知っている。差別を受けたときのつらい思いも味わってきている。ただ、その苦しみを父権社会への過剰適応によって乗り切ったことで、権利を要求する者を「特権」として断罪する立場にたっている。そうすることで自己の歩みを正当化し、承認を得ようとしているのだろう。
杉田なりの生存をかけた闘いがあったのだと思う。懸命な努力があったのだろう。しかし、そのサバイバル術を肯定するために、他者の「弱くある自由」を否定してはならない。自由を奪われる苦しみを知っている杉田は、痛いほどよく分かっているはずだ。人間の弱さを受け止める強さが必要とされている。 (なかじま・たけし=東京工業大教授)