ゾルゲ事件で新聞統制 旧司法省幹部手控え発見 - 毎日新聞(2018年8月18日)

https://mainichi.jp/articles/20180818/k00/00m/040/195000c
http://archive.today/2018.08.18-000257/https://mainichi.jp/articles/20180818/k00/00m/040/195000c

太平洋戦争前夜に発覚した、20世紀最大の国際スパイ事件「ゾルゲ事件」を巡り、当時の司法省などが報道を厳しく規制した「新聞記事掲載要領」や、関係各省と発表の文言・公開範囲を折衝していた内部文書が見つかった。ソ連のスパイ網が国家の中枢にまで伸びていたことが判明する中、各省が都合の悪い表現を削除し、また事件の重大性の矮小(わいしょう)化を図るなど、政府の思惑や、対メディア戦略が記されている。ゾルゲ事件の1次資料を集めた「現代史資料」(みすず書房)に未掲載のものも含まれる一級資料だ。
資料は事件当時、思想事件などを担当した司法省刑事局第6課の課長だった太田耐造(1903〜56年)が残したもの。関係者が国立国会図書館(東京都千代田区)の憲政資料室に寄贈した。
<トップ扱其ノ他特殊扱ヲ為サザルコト><四段組以下ノ取扱ヲ為スコト><写真ヲ掲載セザルコト>
ゾルゲらスパイ網が逮捕されたのは41年10月。翌42年5月16日、司法省が事件を発表した際、メディアへ詳細な指示がなされていた。外務省などの意見も反映されているとみられる。
内部文書「外務省非公式意見」では「(逮捕された)西園寺公一(きんかず)の肩書に『外務省嘱託』を削除するように」、また「大審院検事局意見」では、報道に際して「重要機密要項の重要という形容詞を削除する必要があるのでは」などとあった。西園寺公一は首相などを務めた元老、西園寺公望(きんもち)の孫。司法省の発表はいずれの意見も反映されていた。
翌17日の東京日日新聞(現・毎日新聞)は、2面で「『国際諜報(ちょうほう)団』を検挙/首謀者内外人五名起訴」の見出しで事件を報じ、記事は4段組み、写真はなかった。さらに逮捕された公一の「外務省嘱託」はなく、「要領」通りの体裁となっている。朝日新聞も1面に同様の体裁で、当時の新聞と国家権力との関係が見て取れる。
ゾルゲ事件研究家の渡部富哉さんは「発表の仕方を練りに練っている」と指摘した上で、「すでに左翼勢力を壊滅したと言いながら、一番大事なところにスパイに入り込まれていたショックが大きかったようだ。言論統制を徹底しないと安心できない国家権力の様子が見て取れる」と話している。資料は今春から、憲政資料室で「太田耐造関係文書」として公開されている。【棚部秀行】

新聞記事掲載要領
一、発表文(司法省発表及当局談)以外ニ亘ラザルコト

二、本件ニ関スル記事差止並ニ其ノ一部解除ヲ為シタル事実ニ触レザルコト

三、記事ノ編集ハ刺激的ニ亘ラザル様注意スルコト

 例ヘバ (イ)トップ扱其ノ他特殊扱ヲ為サザルコト

 (ロ)四段組以下ノ取扱ヲ為スコト

 (ハ)写真ヲ掲載セザルコト

ゾルゲ事件
ソ連赤軍に所属しながら駐日ドイツ大使館顧問を務めていたリヒャルト・ゾルゲが、ソ連に日本の機密情報を流したスパイ容疑で逮捕された事件。首相を務めた近衛文麿のブレーンで、元朝日新聞記者でもあった尾崎秀実(ほつみ)らの協力を得た。ゾルゲらの逮捕は1941年10月、厳しい報道統制が敷かれ発表は42年5月。ゾルゲ、尾崎は44年11月に処刑された。検挙数は計35人にのぼり「日本近現代史上最大のスパイ事件」とも呼ばれる。