(政界地獄耳)押し付けられたのは憲法か - 日刊スポーツ(2018年8月15日)

https://www.nikkansports.com/general/column/jigokumimi/news/201808150000184.html
http://archive.today/2018.08.15-072308/https://www.nikkansports.com/general/column/jigokumimi/news/201808150000184.html

★12日、首相・安倍晋三は講演で憲法改正について「いつまでも議論だけを続けるわけにはいかない。これまでの活発な党内議論の上に自民党としての憲法改正案を次の国会に提出できるよう、取りまとめを加速すべきだ」とした。首相は改憲派で、もとより「いじましいんですね。みっともない憲法ですよ、はっきり言って。それは、日本人が作ったんじゃないですからね」と現憲法が米国に押し付けられた憲法でみっともない憲法と定義づけている。
★元来、順法精神を持ち、誰よりも現行憲法を守らなければならないはずの内閣総理大臣として発言は逸脱していると思えるが、国会が発議するはずの憲法改正を率先して変えたがるその発言だけは、自民党総裁として使い分けることも姑息(こそく)だ。ただ首相が言う、「日本人が作った憲法ではない」という発言も聞き捨てならず、その合理的な根拠もさして示していない。
16年8月12日の東京新聞では「9条は幣原首相が提案 マッカーサー書簡に明記 『押しつけ憲法』否定 新史料」の見出しで、終戦から半年間首相を務めた幣原喜重郎の考えであったことを書いているし、04年に集英社から「昭和の三傑−憲法九条は『救国のトリック』だった」を出版した元文芸春秋編集長・堤堯も同様の分析と判断を行っている。同様の考えを記した専門家の書はほかにも幾多もあろう。しかし歴史を正面から見つめず、「いつまでも議論ばかり続けるわけにはいかない」どころか、歴史を修正してまで憲法改正に事を運ぼうという姿は、首相の役割とすれば「みっともない」と言われても仕方がないのではないか。押し付けられたのは憲法ではなく、政府が沖縄に米軍基地を押し付けたのではないのか。総裁選挙では、そこを議論にしてもらえるのだろうか。今日は終戦記念日だ。(K)※敬称略