翁長知事死去 「沖縄とは」問い続けて - 朝日新聞(2018年8月10日)

https://www.asahi.com/articles/DA3S13629884.html
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沖縄県知事翁長雄志(おながたけし)氏が亡くなった。67歳だった。
米軍普天間飛行場辺野古に移設することへの反対を貫き、海面の埋め立て承認を撤回する手続きを始めた矢先だった。
本土にとって沖縄はいかなる存在なのか。国の安全保障はどうあるべきか。日本国憲法が定める地方自治とは何か――。
知事に就任して3年8カ月。重い問いを突きつけ続けた。
その姿勢を象徴するのが「イデオロギーではなくアイデンティティー」という言葉であり、長く続いた保守・革新の対立を乗りこえて作りあげた「オール沖縄」のつながりだった。
自民党の県連幹事長を務めるなど保守政界の本流を歩み、日米安保体制の必要性も認めながら、辺野古問題では一歩も譲ることはなかった。最後となった先月27日の記者会見でも、がんでやせ細った体から声を絞り出し、「振興策をもらって基地を預かったらいい、というようなことは、沖縄の政治家として容認できない」と語った。
「銃剣とブルドーザー」で土地を取りあげられ、当然の権利も自由も奪われた米軍統治下で生まれ、育った。本土復帰した後も基地は存続し、いまも国土面積の0・6%の島に米軍専用施設の70%以上が集中する。
だが、「なぜ沖縄だけがこれほどの重荷を押しつけられねばならないのか」という翁長氏の叫びに、安倍政権は冷淡だった。知事就任直後、面会の希望を官房長官は4カ月にわたって退け、国と地方との争いを処理するために置かれている第三者委員会から、辺野古問題について「真摯(しんし)な協議」を求められても、ついに応じなかった。
翁長氏が「政治の堕落」と評した不誠実な政権と、その政権を容認する本土側の無関心・無責任が、翁長氏の失望を深め、対決姿勢をいよいよ強めていったのは間違いない。
沖縄を愛し、演説でしばしばシマクトゥバ(島言葉)を使った翁長氏だが、その視野は東アジア全体に及んでいた。
今年6月の沖縄慰霊の日の平和宣言では、周辺の国々と共存共栄の関係を築いてきた琉球の歴史に触れ、沖縄には「日本とアジアの架け橋としての役割を担うことが期待されています」と述べた。基地の島ではなく、「平和の緩衝地帯」として沖縄を発展させたい。そんな思いが伝わってくる内容だった。
死去に伴う知事選は9月に行われる。その結果がどうあれ、翁長氏が訴えてきたことは、この国に生きる一人ひとりに、重い課題としてのしかかる。