『被爆73年 継承』 鉛筆画が伝える「消えた街の記憶」 - 広島ニュースTSS(2018年8月1日)

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被爆73年継承』
今年4月に復刊された、鉛筆画の画集。その中には原爆投下前の広島の町の様子がいきいきと描かれています。画集が復刊に至った理由と、絵を描いた男性の思いを取材しました。
7年前に出版された画集『消えた町記憶をたどり』。
そこには、広島に投下された原爆の爆心地にあり、壊滅した繁華街・旧中島地区周辺の被爆前の姿が鉛筆によって隅々まで細かく描かれています。
2年前、大ヒットを記録した映画『この世界の片隅に』。
作品の中で街並みを描く際、参考にされたのが、この絵でした。
映画で中島地区のシーンを担当した浦谷千恵さんは。
【『この世界の片隅に』浦谷千恵監督補】
「まずはすごいなっていう一言。これだけのものを描くエネルギーに一番圧倒されました。写真だけだとわからない細かい、町が非常にいきいきと描かれていて、大変感動もしたし、作品の資料として大切に使わせていただきました」
この絵を描いたのは広島市西区に住む森冨茂雄さん(88)。
73年前のあの日、自身は爆心地から2.5キロの学徒動員先で助かりましたが、家族の営む店が爆心地近くにあり、父や祖母、弟2人を原爆で失いました。
【森冨茂雄さん】
「いっぺんに孤児になりましたね。やっぱり肉親というものはいいもんです。寂しいです。
いっぺんに亡くなれば」
思い出すのも辛い記憶。しかし戦前の町を知る人がいなくなることへの焦りも募っていました。
【森冨茂雄さん】
「ちょっと絵を描いてみたらね、みな懐かしがって。戦前の広島こうだったって」
当時を知る人と話が盛り上がり、記憶をたどって楽しい思い出が次々と蘇りました。
【森冨茂雄さん】
「学校から帰ったら、もう勉強するより遊んで、行動範囲が広かったんですよ。昼間は練兵場、護国神社の方で遊んで、夜は店が閉まるまで本通り筋で遊んでた。今日は陣取り合戦やろう、軍艦遊芸やろう…馬跳びをやって遊んだりなんかしてましたね」
本通り商店街はスズラン灯の下を多くの人が行き交い、子供たちの遊び場でもありました。
【森冨茂雄さん】
「ここはレストハウス。ここ越智病院。元安川に落ちないかと言ってね、女の先生に。
子ども時分によくそう言って、からかいよった。落ちないか(=越智内科)って言って。
ハハハハハ」
当時の町並み、人々の暮らしや息遣いを感じることができます。
この画集を出版したヒロシマ・フィールドワーク実行委員会の中川幹朗さん。
ヒロシマ・フィールドワーク実行委員会・中川幹朗代表】
「ほとんど人間は描かれていないけれど、家や通りだけ描いてあってもすごく人間を感じる。いつかこれを画集にしたいと思って。今回、映画がなければ再版にも至らなかったと思います。これもひとつのきっかけで、映画を通して広島のかつての町の暮らしや原爆そのものについて、皆さんが知っていくきっかけになればうれしいことだなと思います」
また、復刊された画集を購入した人には、この『アートカード』がプレゼントされることになりました。映画に登場した被爆前の町のイラストに説明書きを重ねられるもので、映画『この世界の片隅に』の監督補・浦谷千恵さんの協力で実現しました。
【『この世界の片隅に』浦谷千恵監督補】
「ちょっとでも大切な画集を広めるために一助になれないかなと思って企画しました。画集と照らし合わせながら楽しんでもらえたらなと思っています」
映画のブレイクによって再び光を浴びた画集。
【森冨茂雄さん】
「戦前の広島を原爆(投下)前のことを話せる人がおらんようになってきてますね。説明がいつまでできるかなと思います。戦前の広島というものを、人がいて、たくさん住んでいる人が亡くなったんだということを知ってもらいたくて描いたんです」
73年前のあの日。そして、それ以前の町の様子を知る人の貴重な記憶の形です。

【『この世界の片隅に』】