(筆洗)復刊した画集「消えた町 記憶をたどり」 - 東京新聞(2018年8月6日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2018080602000132.html
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<ただ思っている あなたたちはおもっている 今朝がたまでの父を母を弟を妹を (いま逢(あ)ったってたれがあなたとしりえよう) そして眠り起きごはんをたべた家のことを>
峠三吉「仮繃帯(ほうたい)所にて」(『原爆詩集』収録)の一部を引いた。広島の原爆忌である。原爆によって無残な姿にされてしまった女学生。詩はその心に映る投下直前までの愛(いと)おしい「記憶」を描く。
当時だから、生活は苦しかっただろう。それでも語り合える家族や友がいて、心落ち着く家、町並みがあった。それぞれの人が生きている「物語」の数々がそこにあった。八月六日午前八時十五分。それが一瞬にして消えた。
最近、復刊した画集「消えた町 記憶をたどり」(森冨茂雄さん)。原爆投下前の旧中島地区の町を鉛筆で描いている。映画『この世界の片隅に』で広島の町を描く際の参考資料となった。
その絵を見れば、人びとの「物語」が想像できる。声が聞こえてくる。それぞれの<眠り起きごはんをたべた家のこと>を感じる。それが核兵器によって、跡形もなく失われた事実。それを人間が行ったのだという事実におののく。
あの日から七十三年。核廃絶の動きは鈍い。政治外交が核兵器を葬ることができぬのなら人の心の誓いをもって葬るしかないのだろう。人びとの「物語」を想像し慈しむ。そして、何があろうと奪ってはならぬと。