週のはじめに考える 思い出そう ムーミン - 東京新聞(2018年8月5日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2018080502000149.html
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丸くてかわいらしいムーミン。作品が描く童話の底辺には、北欧の人たちが大切にしている寛容の考え方があります。今、思い出したい心です。
「来館者第一号は日本人でした」
フィンランドに昨年六月オープンしたムーミン美術館のミーナ・ホンカサーロ学芸員が開口一番、こう説明してくれました。
ムーミンシリーズの作者トーベ・マリカ・ヤンソンさんはこの国に一九一四年に生まれました。そこに開館した美術館=写真=は、関連作品が展示され多くの日本人が訪れる“聖地”になっているようです。

◆戦争の不安が生んだ
日本では愛らしいキャラクターとほのぼのとした世界を描いた作品とのイメージが強いですが、作品が生まれた背景には厳しい現実がありました。
九作あるシリーズの第一作が出版されたのは四五年、第二次大戦中に書かれました。フィンランドも戦争に巻き込まれていました。
「空襲におびえて創作意欲もなくなり、どうしたら心の平穏を保てるかを考えたとき童話の執筆を思い立ちました」
美術館ガイド、常世田美喜子さんは語ります。恐怖と不安が生み出した戦争の影が作品なのです。
第一作はムーミンたちが洪水に遭います。洪水は戦争の不安そのものです。ムーミンムーミンママがムーミンパパを捜すストーリーは、父親や男兄弟が出兵し母子が残された当時の家庭の状況を反映しているようです。
第二作は彗星(すいせい)が迫ってきます。彗星は広島、長崎の原爆投下の影響を受けているともいわれます。
作品に通底する思いがあります。それは分け隔てなく他者を受け入れるという感受性です。ヤンソンさん自身はスウェーデン語を母語としたフィンランド人です。フィンランド語を使う人が大勢の社会では少数派です。
だから弱い立場の人たちに視線が向く。作品には多くの種族が登場しますが、仲良しです。戦争を経験し、より一層その思いが作品に込められた気がします。
注目する登場人物が第八作「ムーミンパパ海へいく」の魔物のモランです。シーツを頭からかぶったような姿で周囲に不気味がられています。モランを知る者はおらず誰も好きではありません。
ムーミンも恐怖を感じていますが、交流することでモランの孤独感を理解し同情します。常世田さんは「お互いが歩み寄ることで誰もが分かり合えることを悟ることができる。それを表しています」。
他者を受け入れ平等に接する精神は北欧に共通しています。支え合いの制度である社会保障にも生かされています。外国人も受けられる支援は同じです。
残念ながら日本ではこの寛容さが失われつつあるように思えてなりません。

◆不寛容が社会を分断
非正規で働く人が増え正社員と所得格差が生まれています。生活保護受給者への風当たりも強まっている。貧困や孤立の先に子どもたちへの虐待が起こっています。
しかし、貧困に陥るのは自己責任と切り捨てる気分が広がっていませんか。今と将来への不安から、人とかかわりを持つ余裕も関心もなくなっています。
他者への無理解は社会の分断を生みます。分断が進めば、社会から支え合いの気持ちがなくなります。それは社会保障を支える基盤がなくなることでもあります。
その北欧が今、寛容さを試される事態に直面しています。中東やアフリカなどからの移民が増えているのです。フィンランドスウェーデンでは反移民を掲げる政党に一定の支持が集まっています。両国とも近く行われる国会議員選挙の最大の争点になりそうです。
美術館には高さ二・五メートルの五階建てのムーミン屋敷のジオラマが展示されています。ヤンソンさんが仲間たちと毎週土曜の夜に集まって楽しみながら三年を費やして作ったそうです。「誰でも友達になれるというヤンソンの哲学を象徴しています」と常世田さんは言います。
屋敷では多くの登場人物たちが楽しそうに暮らす。直面する困難を乗り越える力に満ちている。ムーミンを知る人はもちろん、知らない人の心の中にもムーミンは住んでいる。ただ、それは大きくなったり小さくなったりするのだと思います。大きくする心を持ちたい。思い出そう、ムーミン