(筆洗)東京医科大で明らかになった入試を巡る女性差別である - 東京新聞(2018年8月4日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2018080402000159.html
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文明開化の時代と言っても、明治期に女性が医師になるのは社会の想像外のことだったようだ。現在の愛知県に生まれた高橋瑞子(みずこ)は三日三晩、東京の私立医学校、済生学舎の門前に立ち続けている。許されていなかった女性の入学を校長に直接求めるためだった。
高橋は、「女性はだめ」という病院や役所にも直談判している。固く閉ざされていた門戸は開く。教室には男たちの悪口があったが、高い志を貫き、日本で三番目の女性医師になった。
腕のよさもあり開業後は人気を集めたらしい。切り開いた道を多くの女性が歩むことになる。日本女医会は百年史で<日本女医の開拓者>と高橋をたたえた。
男尊女卑の気風が残り、「女に学問はいらない」と言われていたころのことだが、当時を思わせるような出来事があるとは想像外だった。東京医科大で明らかになった入試を巡る女性差別である。女性医師はたくさんいらないとばかりに点数を一律に減らしていた。女性にだけこっそりハンディを背負わせる。受験生は手の打ちようがない。
女性医師の離職が多いことが背景にあるという。だからといって、ひそかに人数を減らすのが、教育機関のとるべき道だったか。女性医師が不可欠な時代に、働き続けるための道を探るべきではないのか。
時計の針を逆転させるような行いが、医師を目指す女性の志をくじかないか心配だ。