(東京エンタメ堂書店)「南洋諸島」から考える戦争 - 東京新聞(2018年7月30日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/entamedo/list/CK2018073002000184.html
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第1次世界大戦の終結から100年。戦勝国となった日本は「南洋諸島」と呼ばれた島々を統治するようになりました。今回は、この地から戦争を考えます。 (小佐野慧太)
南洋諸島はフィリピンの東、赤道の北に広がる島々です。かつてドイツ領でしたが、日本が大戦中に占領。これらの島々は一九二二年から国際連盟委任統治制度のもと、日本が実質的な「領土」として支配するようになります。
◆「親日」に隠れた占領史

<1>井上亮(まこと)『忘れられた島々 「南洋群島」の現代史』(平凡社新書・八二一円)は、この出来事が「太平洋戦争への重大な伏線」だったと指摘します。以降、米国は植民地だったフィリピンの防衛のため、日本との衝突を意識するようになりました。
南洋諸島は戦後、米国に統治されて核実験場にも使われました。現在は米自治領の北マリアナ諸島を除いてミクロネシア連邦マーシャル諸島パラオとして独立していますが、日本ではともすれば「親日的」であることばかりに焦点が当てられがちです。著者は大航海時代の十六世紀から現在までの歴史をひもとき、「ないがしろ」にされ続けた南洋諸島に目を向ける必要を訴えます。
◆両陛下の慰霊 きっかけ
南洋諸島のうち太平洋戦争で屈指の激戦地となったのがペリリュー島(現パラオ)。「東洋一」と言われた飛行場を巡る攻防で、日本軍約一万人、米軍約千七百人が死亡しました。<2>武田一義『ペリリュー−楽園のゲルニカ−』(白泉社、各六四八円)は、この悲壮な戦いを描く漫画です。
登場人物は、ほぼ三頭身のかわいらしい絵柄。そうでなければ目にするのもおぞましい無残な死や、極限状態の人間の姿が、漫画家を目指す若い主人公「田丸一等兵」の視点から描かれます。
二〇一五年に戦没者慰霊のため、天皇、皇后両陛下が同島を訪問されたことが執筆のきっかけだといいます。漫画は青年誌「ヤングアニマル」で連載中。単行本は第五巻まで刊行されていますが、「どこまで戦い続けるのだろうか」と思わずにはいられません。執筆に協力する歴史研究家の平塚柾緒(まさお)さんの著書『玉砕の島 ペリリュー 生還兵34人の証言』(PHP研究所、二〇五二円)も六月に発売されました。
◆敵でなく飢えとの闘い
あの夏、兵士だった私

あの夏、兵士だった私

本紙「平和の俳句」の選者を昨年八月まで務め、今年二月に亡くなった俳人金子兜太さんも、南洋諸島の戦場を体験しました。<3>『あの夏、兵士だった私 96歳、戦争体験者からの警鐘』(清流出版、一六二〇円)に当時の状況が詳しくつづられています。
金子さんは一九四四年、海軍主計中尉としてトラック島(現ミクロネシア連邦)に赴任。同島には米軍の激しい空襲が繰り返されました。「行くなら最前線で華々しくやってやろうと思っておったのだが、それどころの騒ぎじゃない。もうトラック島は機能不全に陥っていたんです」。金子さんは、正規の軍人ではない工員たちを部下として率いました。乱暴者でありながら純真な彼らとの交流が、庶民らしさの色濃い金子さんの俳句の在り方に影響していることも語られます。
次第に「敵との戦闘ではなく、飢えとの戦い」になったといいます。「食い物の調達は私の任務なんだけど、それがうまくいかなくて、部下を飢えで死なせてしまった。それはもう、つらかったなあ」
告白に胸がふさがります。南洋諸島は「忘れられた島々」であってはいけないと思わされます。