(余録)大正時代の「米騒動」は富山県から始まった… - 毎日新聞(2018年7月15日)

https://mainichi.jp/articles/20180715/ddm/001/070/141000c
http://archive.today/2018.07.15-010255/https://mainichi.jp/articles/20180715/ddm/001/070/141000c

大正時代の「米騒動」は富山県から始まった。1918(大正7)年7月、魚津(うおづ)港に漁師の妻らが集まり、輸送船へのコメの積み出し中止を求めたことなどがきっかけで、暴動を伴う騒動が全国に広がった。
富山での騒動の主役は、米価高騰の窮状を訴える女性たちだった。地元紙の「高岡新報」は「女房連は海岸に集合し其(その)数百七、八十名」「米の廉売を為(な)されたしと哀願し」などと報じている。
ときの寺内正毅内閣の総辞職にまで発展した事件から、今年は100年にあたる。魚津市は専用ロゴマークを作り、講演会や資料展示などの記念事業に取り組んでいる。
市の一連の事業には「暴動の地」という印象を払拭(ふっしょく)したい思いもこめられている。魚津歴史民俗博物館の麻柄(まがら)一志館長(63)によると、魚津での抗議行動は非暴力的なものだった。死者まで出た全国各地の騒動と異なり、逮捕者もいなかったという。「暴動の震源地だと誤解されがちです」と残念がる。
当時は第一次大戦による好景気だったが、庶民には実感が乏しく、社会には格差が広がっていた。騒動に参加した人たちに聞き取り調査を続けた地元の研究家、紙谷信雄さん(84)は「家族を守る一心からの行動だったのでしょう」と女性たちの心情を思いやる。
米騒動普通選挙運動など、大正デモクラシーに大きな影響を与えた。折しも今年、国会や地方議会で女性議員を増やすことを目指す法律が成立した。女性が政治を動かしてから100年、新たな節目となるだろうか。