(余録)ドイツ若手哲学者の「なぜ世界は存在しないのか」という本が… - 毎日新聞(2018年7月1日)

https://mainichi.jp/articles/20180701/ddm/001/070/164000c
http://archive.today/2018.07.01-013837/https://mainichi.jp/articles/20180701/ddm/001/070/164000c

ドイツ若手哲学者の「なぜ世界は存在しないのか」(講談社選書メチエ)という本が売れている。驚くことは書かれていない。多様なものの見え方やあり方そのものが実在し、その全てを包み込む世界と呼ばれるような意味が存在するのではないと説く。
思えば科学や経済学は、誰も知らないはずの全体があると想定し、数字と論理で空白を埋める営みだ。それではうまくいかないと皆が疑う今、不安に答えようとした哲学が読者を引き付けるのか。
セカイ系」という造語がある。超能力少女や巨大ロボットが、セカイの存亡を懸けて戦うアニメやゲーム、音楽などのサブカルチャーを指す。バンド「SEKAI NO OWARI」や映画「君の名は。」などが人気だ。
社会や歴史の文脈を飛ばして一気にセカイへ結びつける歌や物語は幻想的だが、科学的な思考の外枠だけをまとう。それを楽しむのも現代社会の感性である。
世界は存在しないと言われても、不安は薄らぐどころか増すばかりだろう。サッカーに沸くロシアをはじめ各国に強権指導者が台頭し、民衆の支持で在任期間は長引く一方だ。いずれも自国第一主義を掲げ、路線を巡って各国内に敵か味方かの分断が生じている。それは国境を越え、世界の分断へつながる。
全体がなければ分断もない。分断の政治は、世界や国家が実在するという楽観を前提にしている。敵と味方がそれぞれ民衆の支持を取り付け合う時代、分断を解く力は民主主義に備わっているだろうか。