(余録)「検察官は『遠山の金さん』のような素朴な… - 毎日新聞(2018年6月1日)

https://mainichi.jp/articles/20180601/ddm/001/070/162000c
http://archive.today/2018.06.01-002343/https://mainichi.jp/articles/20180601/ddm/001/070/162000c

「検察官は『遠山の金さん』のような素朴な正義感をもち続けなければならない」。ミスター検察と呼ばれた元検事総長伊藤栄樹(いとう・しげき)の言葉だが、著書「秋霜烈日(しゅうそうれつじつ)」には「検察の限界」との題で二つの話がのっている。
一つは政党への献金収賄の抜け道になっているが、規制する法律がなければ何もできないという話。今一つは、警察による違法な情報収集の立件を再発防止の約束と引き換えに見送ったという「よその国」の「おとぎ話」であった。
警察と全面対決して検察は勝てるか、勝ててもしこりが残れば治安維持上困る−−伊藤は法の支配の奥の院の「おとぎ話」を書き残した。さて遠山の金さんのものとも思えない今般の処分、法の不備のせいなのか、「おとぎ話」系か。
森友問題での財務省の決裁文書改ざんなどで大阪地検特捜部は当時の理財局長らを不起訴処分とした。地検は決裁文書から削除されたのは一部で、契約金額など本質部分は失われておらず虚偽公文書作成にあたらないと見たのである。
だが「素朴な正義感」から見れば、虚偽答弁にあわせて国民を欺こうとした「本件の特殊性」や首相夫人への言及の削除である。この場合、国民注目のそれらが同文書の本質部分だろう。もともと行政の公正の証したる公文書なのだ。
まさか今日の「法の支配」に、奥の院の「おとぎ話」はなかろう。「秋霜烈日」は検察官の胸のバッジの異称で、「秋の霜、夏の灼(しゃく)熱(ねつ)の太陽のように刑罰・権威の厳しく厳(おごそ)かなさまをいう」のだから。