<金口木舌>1945年の沖縄戦で住民として・・・ - 琉球新報(2018年5月28日)

https://ryukyushimpo.jp/column/entry-727217.html
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1945年の沖縄戦で住民として戦場をさまよい、米軍の攻撃を逃れた。14年後、24歳の東恩納良吉さん(82)は米軍将校として沖縄に配属された。「こんな日が来るとは」。嘉手納基地に降り立つと体が震えた

▼沖縄生まれのハワイ移民3世で、米国市民権を持っていた。日本兵の父は南洋で戦死。その弟は米兵で、親類を沖縄の収容所で探した。戦後、東恩納さんは祖父の呼び寄せでハワイに渡った
▼どうせ徴兵されるならと士官に。意図せず占領者側として59年11月、沖縄に戻った。この年6月30日、死者18人、負傷者210人を出す宮森小米軍ジェット機墜落事故がうるま市で起きた。軍命で東恩納さんは被害者らを調査した
▼今月20日の講演で、東恩納さんが当時を振り返った。米軍服姿で被害者を訪ね、悲痛な声を聞いた。「被害者は精神的に苦しみ、聞いた私もつらかった。軍の補償が不十分だったことも残念だ」
▼東恩納さんの歩みは、戦世に翻弄(ほんろう)されてきた沖縄そのものだ。日米が新基地建設を強行する名護市辺野古では、反対する県民と県警が衝突する。県民同士が対峙(たいじ)する構図は今も変わらない
▼東恩納さんは沖縄で兵役を終えた。高等弁務官キャラウェイは軍に残るよう促したが、東恩納さんは心に決めていた。「何よりも命が大切。戦争で命を失えば無意味だ」。その決意は今も揺るがない。